村上春樹が38年間コツコツと続けた、翻訳作品をめぐる冒険 『村上春樹翻訳ほとんど全仕事』

文芸・カルチャー

2017/5/14

村上春樹翻訳ほとんど全仕事』(村上春樹/中央公論新社)

村上春樹はハードワーカーである。2017年2月の『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(文藝春秋)以来4年ぶりとなる長編小説『騎士団長殺し』(新潮社)を発表すると、3月にはこれまで手がけてきた翻訳について語る『村上春樹翻訳ほとんど全仕事』(中央公論新社)を、4月には作家の川上未映子との対談集『みみずくは黄昏に飛びたつ』(新潮社)と立て続けに出版、さらに5月には翻訳を担当したジョン・ニコルズの『卵を産めない郭公』(新潮社)も出た。

村上のハードワーカーっぷりを際立たせているのが、圧倒的なまでの翻訳の仕事量だ。本人も『村上春樹翻訳ほとんど全仕事』のまえがきで、改めてその量に感慨を抱いている。

 それにしても、この本をつくるために、これまでに翻訳した英文テキスト(全部は残されていないけれど)と訳書を一ヵ所にまとめて積み上げてみて、そのあまりの数の多さに自分でもいささかたじろいでしまった。数えてみると、だいたい七十冊くらいはある。僕は本職が小説家なので、翻訳はいちおう副業ということになっているのだが、副業にしてはずいぶんな仕事量だ。へえ、こんなにたくさん仕事をしてきたんだ、と考え込んでしまった。

そして本書に収録されている、翻訳家柴田元幸との対談「翻訳について語るときに僕たちの語ること」では、村上の「職業的小説家でいえば、僕くらいたくさん翻訳をやってる人はあまりいないですよね」という問いに対し、柴田は「日本では森鴎外だけですね」と答えている。

この「~について語るときに~の語ること」という表現、村上が自身のことについて書いたエッセイ『走ることについて語るときに僕の語ること』のタイトルとしても使った、レイモンド・カーヴァーの短編集『愛について語るときに我々の語ること(原題は“What We Talk About When We Talk About Love”)』が元ネタであることは言うまでもない(なお『走ること~』でタイトルとして使った際は、亡きカーヴァーの夫人にきちんと使用許可をもらっている。今回はどうだったのだろう?)。もちろん『愛について語るときに我々の語ること』(中央公論新社)の翻訳も村上が担当している。

村上春樹翻訳ほとんど全仕事』のメインとなる、これまで翻訳した作品の原書と訳書の書影(ちなみに掲載されているのは村上の蔵書を撮影したものだそうだ)と、作品の内容や時代背景、個人的な解説とともに紹介している「翻訳作品クロニクル 一九八一 ‐ 二〇一七」では、「小説を書く方法みたいなものは、カーヴァーから学んだことがたくさんある。僕が彼から学んだいちばん大事なことは、『小説家は黙って小説を書け』ということだったと思う」と『愛について語るときに我々の語ること』で解説している。

翻訳の作業を通して文章や小説の書き方を学んでいったという村上の話は柴田との対談でも大いに語られており、高校生のときから翻訳することが好きだったこと、現在は研究社のオンライン辞書を使っていること(村上は「僕としては、研究社の人に個人的に表彰状を書いてあげたいくらいのものです」と語っている)、さらに過去に実在しない本の書評を書いたことがあるという驚くべき事実まで告白するなど、非常に興味深い話も盛りだくさんだ。

対談の間(前編と後編がある)には村上による翻訳作品で初めて印刷物になったという、オーティス・ファーガソン『サヴォイでストンプ』の全文訳が載っている。これは1980年に『ハッピーエンド通信』という月刊誌に掲載されたもので、1930年代のジャズ・シーンを描いた作品だ。また巻末には翻訳家の都甲幸治による「教養主義の終りとハルキムラカミ・ワンダーランド 村上春樹の翻訳」という考察が寄稿されている。

「中古レコード店を巡ることを別にすれば、ほかのひとつふたつのことを別にすれば、世の中にこれほど楽しいことはないですよ、ほんとに」と翻訳の楽しさを語る村上。これからもコツコツと作業は続けられ、翻訳作品は増えていくことだろう。

文=成田全(ナリタタモツ)