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織田信長の真の功績とは? 経済で読み解けば一向一揆鎮圧にこだわった理由がわかる!

『経済で読み解く織田信長 「貨幣量」の変化から宗教と戦争の関係を考察する』(上念 司/ベストセラーズ)

 経済は歴史と密接な関係がある。その時代に最も権力を持っている人の論理でお金が流れるからだ。権力者が権力をふるいやすいようにお金が集められ、権力者が使いたいところにお金が使われる。そんな中、トップの座にはいなかったのに、日本の経済を大きく変えた人がいた。織田信長だ。そこで、織田信長が登場する前後の経済にスポットを当てた『経済で読み解く織田信長 「貨幣量」の変化から宗教と戦争の関係を考察する』(上念 司/ベストセラーズ)を取り上げる。

信長登場前の日本の経済とは?

 日本人なら、日本の経済を動かしていたのは日本人だったと思いたいところだが、少なくとも室町幕府の経済を動かしていたのは明の皇帝だった。日明貿易と言えば聞こえがいいが、足利将軍たちは「明の皇帝のご機嫌取りさえしておけば、たくさんの銭がもらえる」という感覚で貿易をしていた。しかも、明とのやり取りを歓迎していたのは巨万の富を手にした足利将軍だけ。官僚でさえ土下座外交をよしとは思っていなかった。だから、3代将軍・義満の死後は、明との貿易を減らす動きが出始めた。しかし、その頃の日本には自国通貨がなく、外国の貨幣を輸入して取引に使っていたから、明との取引が減ったことで極度の貨幣不足に陥ってしまった。人々も貨幣を溜め込んで貨幣の価値が上がるのを待つ「デフレ期待」の時代だったから、室町末期は市場に流れる貨幣量が落ち込んでいた。そんな時代に信長は登場したのだ。

信長が寺社勢力との対立した意味

 歴史上の人物の中で最も日本に愛されている人物が織田信長。しかし、彼が本当に歴史上で残した偉業に気付いている人は案外少ないようだ。当時の常識にとらわれない行動は、戦国武将としての戦い方以外にも大きく世の中を変えた。例えば、経済政策だ。信長と言えば寺社勢力との対立、特に一向一揆の鎮圧に力を入れていたことで知られている。神仏に対しても容赦ないやり方をした信長を残忍な人物と捉える人も少なくない。だが、平安後期から巨大荘園主として君臨し始めた寺社勢力は、特権を笠に着て、かなり横暴なことをしていたのが事実だ。一向一揆にしても他の一揆にしても、自分たちの意見を通すためのゴリ押しと言える部分が大きかった。多くの大名が一揆の鎮圧に乗り出したが、いつまで経っても収まる気配がない。応仁の乱が起こった頃には、将軍よりも、公家よりも力を持っていたのが寺社。信長は、存在が邪魔だった寺社を討伐の対象としたにすぎなかったが、結果的に誰の手にも負えなかった一向一揆を制圧することになり、既得権益を持つ寺社の勢力を弱めるのに成功したのだった。

日本の経済に風穴を開けた信長

 信長は、自主的に流通を変えようとしたわけでも、経済を動かそうとしたわけでもなかったのかもしれない。個人的に興味のあるものを取り入れ、邪魔になるものを排除しようとしただけだったとも考えられる。しかし、リスクとリターンについての感覚はしっかりしていた。それが結果的に日本を植民地化しようとする諸外国から日本を守ることに繋がった。信長自身が行った経済政策や土地政策は、まだ不完全なもので、完全に機能し出したのは秀吉や家康の時代だった。しかし、信長があのタイミングで手を出していなかったら、寺社が経済を握ったまま、大名たちを裏で操っていたかもしれない。信長は、一定の決まりを設けたうえで自由に商売をさせ、城下町を栄えさせた。そうして経済力を武家の手に取り戻した功績は大きい。できの悪いビタ銭を使わせないようにしたことも、インフラの整備に力を入れたことも、お金を流通させるのには役立った。

 日本の経済に風穴を開けた信長。ゼロから1を創り出すのは誰でもできることではない。創業者はやはり信長でなければならなかったと言える。信長のやり方を踏襲し、それを10にも100にも膨らませたのが秀吉と家康。彼らは優秀な経営者タイプだが、信長のような創業者の役割は無理だったかもしれないと本書の著者・上念 司氏は分析している。

 実はこの本に信長が登場するのは7章と8章だけだ。だから、信長の名前につられて読んだ人は少々驚くかもしれない。しかし、信長以前の日本経済について詳しくわかりやすく書かれているため、かえって信長の功績がよくわかる。そういった意味では、決して誇大タイトルではない。これまで知らなかった信長の姿が見えてきた。

文=大石みずき



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