「『パドルの子』は思春期の自分にケリをつけるための作品」――ポプラ社が全力で送り出す期待の新人・虻川枕インタビュー

文芸・カルチャー

2017/7/25

 〈春は化け物。二年生になった初日の朝、水無月中学の生徒たちは、こぞってこの化け物にやられていた〉。第6回ポプラ社小説新人賞の選考会をにぎわせた、この書き出しから始まる小説『パドルの子』。文章は粗いが、光るセンスと圧倒的なオリジナリティで、この作家を育てていきたい、世にはばたかせたい。と、編集者たちをうならせた著者・虻川枕さんを招いた授賞式が、7月7日に開催された。授賞式を控えた虻川さんに、作品にこめた想いを語っていただいた。

『パドルの子』は思春期の自分にケリをつけるための作品

――本作は、ぼっち生活を送る中学2年の耕太郎がある日、学年一の美少女・水原が屋上の水たまりに“潜る”という不可思議な現象を目撃するところから始まる、ボーイミーツガール・ファンタジーです。まずこの設定はどこから?

虻川枕(以下、虻川) ぼくはもともと脚本家志望で、この作品も『週刊少年ジャンプ』のマンガ原作に応募しようと思って思いついた設定なんです。ジャンプをキーワードに考えたとき、大きな水たまりをジャンプして越えようとする不思議な少年、というのが浮かんで。水たまりを英語辞書で引いてみたらパドル、そこには混乱という意味もあるとわかった。ジャンプするよりは潜るほうが意外性もあるし、潜ることで世界が少しずつ混乱していく物語が書けたら面白いんじゃないかな、と構造を考えていくうちに、これは脚本よりも小説で書いたほうが表現の幅も広がるのでは、と感じて書き始めました。

――え、ということはこれ、はじめて書いた小説なんですか? それであの書き出しを?

虻川 そうです。最初に書き上げたときはやっぱり不安だったので、文芸学科の友人に読んでもらったんですけど(※虻川さんは日本大学芸術学部映画学科脚本コース出身)、そのときに「小説は最初の一文が大事だよ」と教えてもらって。作中で四季の話を書いていたので、そこから引っ張ってきました。インパクトの強い文章で、少しでも心を掴めたらいいな、と。

――水たまりに潜るパドル行為によって、耕太郎は水原とともに世界を少しずつ変えていきます。つまりは、こうあってほしいという方向に、願いを叶えていくわけですが、改変したところで必ずしも事態が好転するわけではない、というのも面白かったです。

虻川 そもそも、世界なんてそうやすやすとは変わらないと思っていて。たとえば選挙に行っても政治が変わるわけじゃない、理不尽は理不尽のままだろう、というような。だけど最近は、考えが変わってきた。変わらないかもしれないけれど、選挙は行かなきゃいけない。世界を変えていくのは外部の圧倒的な何かではなく、自分なんだと思うようになったんです。パドルで世界を変えたとしても、耕太郎が行動し決断しなければ何も変わらない。それに、案外物事ってひとつの分岐点だけで決まるわけじゃない。積み重ねのなかで決まっていくものだから、何かを変えるってものすごく大変だと思うんです。それでも自分を変え、そして世界をも変えていくことの意義のようなものが、物語を通じて見せられていたらいいですね。

――考えが変わったのは、何か理由があるんですか?

虻川 『パドルの子』を書き始めたころ、妻が身ごもりまして。生まれてくる子にぼくは何を伝えられるだろう、って思ったのがいちばん大きいですね。いつまでも無責任ではいられないな、と。でも一方で、子どもが生まれてしまったらきっと、親の目線が自分のなかに生まれてしまう、その前に青春ものを書きたい、という思いもありました。小学生までの無邪気な「好き」とも、高校生のやや性のにおいがまじりだした「好き」ともちがう。「ああ、これが好きっていうことだったんだ」という感情を発見し、定義づけていく瑞々しい過程を描きたい、と。この作品はいってみれば、ぼくの中に微かに残っている思春期の自分にケリをつけるための作品ですね(笑)。

誰かと関わって生きることの大切さをこれからも書いていきたい

――本作はとにかく伏線だらけ。水原の「ささいな違和感を見過ごさないこと」という忠告は、読者に対する挑戦状だったのだと思わされるくらい、仕掛けが満載でした。

虻川 おそらくシナリオを書いていたときのくせで、ちょっとしたネタも繋げたくなってしまうんですよ。ラストにたどりついたとき、結果的にすべての描写が無駄なく回収されていた、というシナリオがいちばん美しいと考えていたので。一方で、もちろんそこからはみ出した場所に遊び心の面白さが生まれるとも思っていて、そういった描写や言葉遊びの要素なども、隙あらば入れるようにはしています。

――自分でも思いがけずつながった、という場所はありますか?

虻川 耕太郎の同級生に、学校中のゴシップを集めて弱みを握るゴシップ王と呼ばれる少年がいるんです。単純にぼくがゴシップ好きで、情報を得ている人が学校では一目置かれるんじゃないかなと思って登場させた、それこそ遊び心で書いていたキャラクターだったんですが、意外と最後まで重要な形で耕太郎に関わっていきましたね。あとはラスト50Pくらい、構想段階では存在しなかったパートなんですよ。その手前で終わるつもりが、なんだか物足りなく感じてしまったんですね。一歩踏み出して書き始めたら、加速度的に物語が動き出し、そのパートこそが本当に伝えたいことだったと気づいた。自分でも書いていて、いちばん楽しかったです。

――パドルの謎が明かされ、耕太郎の想いが決着するラストは、なかなかに切ないものでした。

虻川 ボーイミーツガールの物語が好きで、アニメや映画をよく観ていたんですけど、意外とはっきりとした決着をつけないまま終わることが多いなと思っていて。結ばれるか結ばれないかということ以前に、告白さえしなかったりする。どんな結末であれ、想いをちゃんと伝えきるものを書きたかったんです。

――だからこそ、冒頭ではひとりでもいいと思っていた耕太郎が、最終的に誰かとともに生きることを選べるんですね。

虻川 そうですね。人と関わらずに生きる選択をしてしまうと、世界はどんどん狭まってしまうし、どこかで無理がきてしまう。人間関係そのものは広くなくてもいいですが、壁にぶち当たったときにそれを乗り越えながら、少しずつでも心を開いていくとその先に希望も見えるんじゃないかな。ぼく自身、前職のゲーム会社をやめた理由の根源には一人で作品をつくってみたくなったこともあるからなのですが、ありがたいことに受賞して本にしていく過程で、編集者やイラストレーター、装丁家や校閲者、結果的にいろんな人の手を介してつくられていくんだと改めて実感しました。一人で何かを成すにはやっぱり、限界がある。そういう他人との関わりを、2作目ではもう少し主人公の年齢をあげて、書いていきたいと思っています。

――はじめての小説を形にしたいま、小説だからこそ表現できるものってなんだと思いますか。

虻川 脚本は映像にしなきゃいけないので、実現可能かどうかが重要になる。だけど小説は、水たまりに潜ると書けば、それが本当に起こりうる。すごく自由で、表現に幅のあるメディアだなと思います。でも一方で、読者が能動的にページをめくらなくてはいけないので、地の文でいかに興味をそそられるか考えながら書いていかなくちゃいけない。難しいけど、読者が「もしかしたらこの世界のどこかで、この不思議な現象は起きているかもしれない」と思ってくれるような作品を、これからも書いていけたらと思います。

取材・文=立花もも 写真=内海裕之

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