あの人も和菓子が好きだった! エピソードからひもとくおいしい日本史

食・料理

2017/8/13

『和菓子を愛した人たち』(虎屋文庫/山川出版社)

 空腹状態で書店に入ったのがいけなかったのだろうか。またダイエットの妨げになりそうな本を見つけてしまった。歴史上の有名人と和菓子にまつわるエピソードを集めた一冊。その名も『和菓子を愛した人たち』(虎屋文庫/山川出版社)である。

 虎屋文庫は室町時代創業の老舗和菓子店、虎屋が設立した資料室。虎屋歴代の古文書、古い和菓子の木型といった和菓子関連の貴重な資料を収集・収蔵しているほか、調査研究や広報活動も活発に行なっている。その一環として虎屋ホームページに発表された連載「歴史上の人物と和菓子」のなかから選りすぐりのエピソード100本を選び、1冊にまとめあげたのが本書だ。

 現代日本でもスイーツ好きの人間は多いけれど、それは昔の人々も同じだったようだ。執筆スタッフ一人一人の趣味や専門を反映した結果、平安貴族から戦国武将、茶人、近代の文豪まで時代もジャンルもさまざまな人物たちのエピソードが集まった。

 たとえば平安時代の歌人・和泉式部が自分の息子に送った「草餅」。現代ではヨモギを使うのが一般的な草餅だが、当時は「母子草」(七草粥に入っているゴギョウ)を使って作られていた。そのため草餅は「母子餅」とも呼ばれていたそうだ。和泉式部は「母子餅」にかけて、離れて暮らす息子への思いを歌に詠んだ。情熱的で恋に奔放なイメージのある和泉式部だが、同時に愛情深い母親の顔も持っていたことがわかる。

 大の甘党・芥川龍之介が大盛りをペロリと平らげお代わりをしたという白あんの汁粉、初代米国総領事ハリスに驚きと感動を与えた菓子の折り詰めなど本書にはまだまだたくさんの魅力的な和のスイーツが登場する。虎屋をはじめとする和菓子屋の職人が丹精を込めて作った芸術品のような逸品から、自宅で作れそうな素朴なおやつまでバラエティに富んだラインナップだ。

 これらのなかには先ほど紹介した「草餅」のように現代まで生き残っているものもあるし、「幾世餅」や「白雪糕」のように長い歴史の中で廃れてしまったものもある。文献の記述から再現されたカラー写真の数々を見るうちに「一体どんな味がするのだろう」と失われた菓子たちへの興味がふつふつと湧いてくる。胡麻と求肥を使った「浅茅飴」のように現代人の目から見てもそそられる菓子も多い。

 砂糖がなく甘いものがめったに出回らなかった時代から、人々は多種多様な菓子を愛でてきた。千年以上あるその歴史の初めには、天然の甘味である果物や木の実を指して「菓子」と呼んでいたようである。少し時代が下ると、米などの穀類から餅などを作って食べるようになる。そこはさすが稲作が盛んなお国柄。餅やお団子の類はすでに飛鳥、奈良時代の頃から食べられていたようだ。

 さらに平安時代には唐菓子と呼ばれる揚げ菓子が、鎌倉・室町時代には饅頭や羊羹の原型が中国大陸から伝わる。安土桃山時代にはポルトガルからカステラや金平糖、ボウロといった南蛮菓子も伝来。江戸時代には砂糖の流通量拡大が進み、やがて砂糖をふんだんに使った菓子類が市井に出回るようになった。現在の上生菓子のもとになった「上菓子」、庶民に愛された桜餅や大福などが生まれたのもこの時代である。江戸時代は和菓子が現代のそれに一気に近づいた時代ともいえるだろう。

 和菓子とそれをめぐる人々のエピソードからは、歴史上の人物の意外な一面とともに、和菓子の奥深く豊かな世界が伝わってくる。長い歴史のなかで、ときに海外の文化を積極的に取り入れながら発展を遂げてきた日本のお菓子たち。甘いものを好むのは今の人も昔の人も変わらない。菓子は生活の中の楽しみとして、あるいは人と人との縁をつなぐ贈り物として人々に愛され続けてきた。明治維新以後、洋菓子の流入などによって菓子イコール和菓子とは必ずしもいえなくなったけれども、今なお日本人にとって大切な存在であることは疑いようがない。生クリームなどの「洋」の素材を取り入れるなど新しい挑戦をしながら、その歩みは現在も続いている。

文=遠野莉子