イギリス王室に匹敵する大資産家から“質素倹約生活”へ。知られざる日本の皇室の懐事情とは

文芸・カルチャー

公開日:2022/10/26

極秘資料は語る 皇室財産
極秘資料は語る 皇室財産』(奥野修司/文藝春秋)

 エリザベス女王が亡くなり、その豪華な国葬やイギリス王室の莫大な資産に驚かされた人は多い。その一方で、日本の皇室が戦前まではイギリス王室と同等かそれ以上ともいわれる資産を有していたことを知る人は少ないのではないか。皇室に予算が組まれて国庫から賄われるようになったのは戦後。また、現在の皇室費の大枠が決まったのは昭和43年と最近である。

 かつての莫大な資産のおおよそは明治維新で幕府や各藩が持っていたものを皇室財産に移したものだが、昭和11年には大企業のように5100人以上もの人が宮内省で働き、投資会社のように計画的に運営しては資産を増やしていたというから驚きだ。そうして皇室は自立経済を確立し、大勢の職員の給与だけでなく退職後の恩給も払い、関東大震災のような大きな天災があれば国民に罹災者救済のため、今であれば300億円(当時1000万円)に相当する多額の支援金を下賜していたという。

 折々で国民に相当な金額を贈賜していたといい、天皇の強固な支持基盤となっていたのだ。そこで戦後、「自立する皇室は危ない」とみたGHQが皇室財産をことごとく解体。国家に依存する仕組みにしたのだ。以来、皇室は歯ブラシ1本であろうと年度予算として計上しなければならなくなった。

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 こうした戦前と戦後の皇室の懐事情が詳らかにされているのが『極秘資料は語る 皇室財産』(文藝春秋)だ。タイトルにあるように極秘資料を読み解きながら、著者であるノンフィクション作家の奥野修司氏による取材内容と考察が加えられている、読み応えのある一冊。実際、宮内省の関係者が「こんな資料は表に出たことはありません。いや、今後も絶対に出ないでしょう」「いわば“聖域中の聖域”」と証言しているだけあって、皇室の財政状況を示すさまざまな項目や数字は見るほどに、歴史の一幕や皇室のプライベートまで、公私にわたって想像を掻き立てられる。

 戦後、GHQは天皇を「日本国の象徴」と役割を限定し、当時の評価額37億円もの皇室財産のうち9割を課税で国庫に納税させると、現金わずか1500万円のみを天皇家に残した。にもかかわらず、昭和天皇が崩御したときの遺産は18億7000万円になっていたというから、その投資術は引き継がれていたのだろう。

 また本書から明らかになるのは、その後の皇室の暮らしぶりが、私たちが想像する以上に質素だったこと。例えば、昭和天皇は幼少からものを大切にされていて、〈鉛筆はいつもキチンとけずってあったが、ご自分の小指よりも短いものがあった。(中略)消しゴムも、豆粒ほどになるまでお使いになった〉といい、靴も『昭和45年度「内廷会計算出予算」』によれば、年度予算として計上しているのは2足のみ。「靴が擦り切れたら底を張り替えたり、革を塗り替えたり、何度も修理を繰り返して結構長く使っていました」と元宮内庁職員が証言している。

 思えば、シニア世代には美智子上皇后を慕う人も多い。理由の一つに「洋服を手直しして、ボタンやリボンを変えたり、デザインを変えたりして大切に長くお召しになっている」というのを何度か聞いたことがあるが、その裏付けとなる衣服やアクセサリー類の明細も興味深い。そうした倹約の工夫について、「皇族の方はみなさんやっておられると思います」という関係者の証言も詳述されている。

 ただ、生物学者でもあった昭和天皇は生物学の研究関連には予算をかなり割いていたようだ。本書によると、それは昭和45年度に、134万6000円で今にすると約800万円だ。専門書を買い揃え、専門家を携えて海や山に篭もり、いわゆる研究図書も自費出版していたという。その著書が気になるところだが、皇室経済法によって非売品だそうだ。

 詳細な項目のうち最も気になるのは、〈ノート3冊/単価3300円〉。備考欄に〈別注文、革表紙〉とあり、現在なら2万円ほどする立派なノートを毎年3冊も計上していて、奥野氏も「昭和天皇の日記」ではないかと推察している。ただし、未だに発見されていないという。もし、これらが見つかったら世紀の歴史的資料となるに違いない。

文=松山ようこ

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