なにをしても一切罪悪感を持たない“彼女”は、周囲の人間を不幸へと陥れる……。一木けい最新作『悪と無垢』

文芸・カルチャー

公開日:2022/11/4

悪と無垢
悪と無垢』(一木けい/KADOKAWA)

 人は誰だって、小さな“罪”を犯しながら生きている。自分を大きく見せるための嘘だったり、怒りのあまり暴言を吐いたりと、それらは罪とも呼べないくらいのものかもしれない。でもそれに対して人は、罪悪感を抱くことがある。どうしてあんなことをしてしまったのだろう……。その気持ちが後悔や反省へとつながることで、自らを律していく。つまり罪悪感というものは、人が人として正しく生きていくため、生まれながら備えている善性なのかもしれない。

 でも、なにをしても一切罪悪感を抱かない人がいたとしたら――。

 小説『悪と無垢』(一木けい/KADOKAWA)で描かれるのは、まさにそういったひとりの女性の姿だ。彼女は他人を陥れ、次々に不幸へと突き落としていく。しかも、どこまでも無邪気に。まるで退屈しのぎをしているようで、だからこそ明確な悪意を持つ人の何倍もたちが悪く、恐ろしい。

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「奈落の踊り場」と題された章の主人公は、生きることに疲れ切った主婦・ユリ。甘やかされて育った夫はワガママで、ユリのことをナチュラルに見下している。そんな夫を育てた義母はもちろん、実の母でさえもユリを救ってはくれない。唯一、息子の郁也だけが心の支えだ。

 ユリはあるとき、たまたま寄ったイタリアンレストランで運命的な出会いを果たす。相手は真崎浩之。レストランの本社で働く、責任ある立場の男だった。想定外のハプニングに見舞われたところを助けられたユリは、どこまでも紳士的でやさしい真崎に恋をしてしまう。彼女がその恋に溺れていくのは、あっという間だった。

 ところが、事態は急転直下する。秘密の恋心を育み、将来さえも語り合ったはずの真崎が、姿を消すのだ。しかもどうやら名前も仕事も偽っていたらしい。そうしてユリは、すべてを失ってしまう。真崎だけではなく、夫も息子も失い、彼女のもとにはなにも残らない。

 ここまでは不倫を描く物語として、王道的な展開かもしれない。ただし、著者の一木さんはそこにとんでもないスパイスを加えてみせる。それは、本作の中心となるひとりの女性だ。彼女は罪悪感を抱かずに他人を欺き、不幸を生んでいく。その存在の恐ろしさに気づいたとき、“悪い男に騙された主婦”というユリの物語が、違う表情を見せはじめる。そしてそれは、想像以上に恐ろしいものだ。

 本作にはユリ以外の物語も収録されている。舞台となるエリアは遠い異国や貧しい港町とバラバラで、その都度、主役をつとめる人物も変わっていく。ただし共通するのは“彼女の存在”だ。それによって人々は不幸に陥れられていく。彼女からすればきっと、他人なんて玩具のようなものなのだろう。散々弄んで、壊れたら、また違うものに手を出せばいい。

 しかし一見バラバラだった物語は、最終章「きみに親はいない」でひとつに収束する。最終章の主人公である汐田聖はデビューしたての新人作家で、長年“彼女”に苦しめられてきた人物だ。その呪縛から逃れるために聖はなにをするのか。やがて明らかになる真実とは――。

 すべてのピースがつながったときに見えてくるのは、善性を持たない人間のグロテスクさである。その凄まじさをフィクションだと笑う人もいるだろう。でもぼくは、笑えなかった。もしかしたら“彼女”はすぐ側にいるかもしれないからだ。一木さんが手掛けた本作にはそんなリアリティが漂い、だからこそ、震えるほど恐ろしい。

文=五十嵐 大

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