最後のページの写真から推理を巡らせる! 果敢な企みに満ちたミステリの金字塔、道尾秀介氏の『いけないⅡ』

文芸・カルチャー

公開日:2022/12/2

いけないⅡ
いけないⅡ』(道尾秀介/文藝春秋)

 道尾秀介氏の『いけない』(文藝春秋)は、ミステリとしても、エンタメとしても、サスペンスとしても、まったく非の打ちどころのない稀有な小説だった。特に斬新だったのが、各章の最後に地図やイラストや絵が置かれており、それが謎解きのヒントになるという企み。そんな『いけない』の続編的な道尾氏の新刊『いけないⅡ』(文藝春秋)には、各章の掉尾に写真が掲載されており、これが推理の鍵となる。

 物語の舞台は、牡丹栽培が盛んな箕氷市。閑散とした街は凍てつくような寒さであり、実際、観光スポットである明神の滝は真冬には完全に凍結する。また、街の情景描写からも不穏でひりひりした空気が伝わってくる。それも相まって、穏やかだった家庭や平和だった日常に、唐突にひびや亀裂が走り――。そんな陰鬱とした展開が多く、小説の中核を成している。

 第一章「明神の滝に祈ってはいけない」は、女子高校生が1年前に姿を消した姉を探すうち、姉のSNSの裏アカウントを見つけて、単身、明神の滝へと赴く話。姉はきっと滝に願い事をしに行ったに違いない。そう確信した女子高校生は、滝へ向かう途中である人物と出会い……。

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 第二章「首なし男を助けてはいけない」は、夏祭りの日に少年が2人の仲間を連れて、肝試しをするという話。少年は友人のひとりにどっきりを仕掛けることになる。そこで少年は、30年近く自室にひきこもり、言葉を発することができない伯父を訪ねる。伯父さんが自作したあるものを使って友人を驚かせようとするのだが……。

 第三章「その映像を調べてはいけない」は、老人が息子を殺したと警察に出頭してくるシーンから始まる。老人曰く、息子の暴力に耐えかねて彼を刺し殺し、遺体を川に流したという。だが、その遺体は警察が必死に捜索しても見つからない。そんな時にドライブレコーダーの映像が手掛かりとなり、事件の真相に迫ることになると思いきや……。

 いずれの章にも、漫然と読んでいたら見逃してしまう仄めかしが多数含まれており、全体像がクリアになるのは最終章である。ただ、謎解きのヒントとなる写真を熟視しても、判然としないことも多く、狼狽する読者も少なくないはずだ。

 だが、そんな本書は、SNSとの相性が抜群に良かった。Twitterでは同書のトリックや謎解きについての意見が飛び交い、深く考察を巡らせたブログもちらほら目にした。読後、自分の推理が当たっているかを、他の読者と話したくなる小説だからだろう。中には、「本の核心を読み取れなかった方は、DMしてもらえたらお答えします」といった投稿も見られた。本を介してのコミュニケーションを、(結果的に、ではあれ)本書が促進したのは見逃せない事実だ。

 そして、これはネット上でも見られた言葉だが、様々な伏線が交錯する本書は、二読、三読をすることによって、事件の本質により深く迫れるはずだ。ネット上で「記憶を消してもう一度読みたい」という声があったが、著者の道尾氏自身もあるインタビューで「自分もそんな風に(まっさらな状態で)読み返せたら」と話しているくらいなのだ。

 なお、道尾氏は『N』という作品で、読者が小説を読む順番によって、720通りの物語が立ち上がるという、果敢な試みにも挑戦している。その背後には、読者に自分だけの物語を体験してほしい、という狙いがあったそうだ。そして、『いけない』『いけないⅡ』もまた、小説のフォーマットを根柢から揺るがすという意味では『N』と同様の地平にいるのではないだろうか。

 それにしてもなんという完成度の高さだろう。神は細部に宿る、というフレーズをここまで意識させられたのも久々だ。構成の妙、人物造形のリアルさ、田舎の風景の描写。アイディアの豊富さと意外性、等々が、幻惑的な世界を現出させる。前作『いけない』がバージョン・アップされた本書は、金字塔的な作品となるに違いない。

文=土佐有明

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