うるさい場所や複数人での会話になると聞こえない――“APD/LiD”をめぐる取材から見えてきたもの

暮らし

公開日:2022/12/28

隣の聞き取れないひと APD/LiDをめぐる聴き取りの記録
隣の聞き取れないひと APD/LiDをめぐる聴き取りの記録』(五十嵐大/翔泳社)

 フジテレビ系で放映されたドラマ『silent』が、いま大きな話題を集めている。病気で聴力を失ってしまった青年と高校時代の同級生のせつない恋を静かに描くこのドラマによって、「耳が聞こえない」という困難な現実について、自分事として考えたり、自分ならどうするか考えたり、よりパーソナルな目線で向き合うことができたという人も多いのではないだろうか。

 ドラマの主人公は完全に聴力を失ってしまっているが、聴力の困難といってもいろいろなタイプの方がいる。たとえば最近、少しずつ知られるようになってきたAPD(=Auditory Processing Disorder:聴覚情報処理障害 LiD=Listening Difficulties:聞き取り困難症ともいう)をご存じだろうか? うるさい場所や複数人での会話、あるいは電話越しなど特定の状況下では「聞こえているのに、聞き取れない」という困難に陥ってしまう症状のことで、当事者の多くはなかなか周囲に理解されないために苦しんでいるという。そんなAPDに悩む声が集まった『隣の聞き取れないひと APD/LiDをめぐる聴き取りの記録』(五十嵐大/翔泳社)は、ドラマ『silent』のように、APD当事者と私たちを静かにつないでくれる貴重なノンフィクションだ。

 著者は両親とも耳が聞こえず「コーダ」(=CODA/Children of Deaf Adults:聴覚障害者の両親に育てられた子ども)として育ったライター・作家の五十嵐大さん。本書はある日、五十嵐さんのもとに「APDで悩む当事者たちのことを書いてくれませんか?」とメッセージが届いたことに端を発する。そのメッセージの主は日本国内に数少ないAPDの診察ができる耳鼻科医・平野浩二さん(※)。平野さんはご自身もAPDについての啓蒙活動を行ってきたが、より一般の人が受け入れやすいものを書いてほしいと五十嵐さんにメッセージを送ったのだ。

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 実は五十嵐さんはメッセージを受け取るまでAPDを知らなかったというが、調べるほどにAPD当事者の困難を知り、それがコーダとして自分が抱えてきた「生きづらさ」と非常に近いと感じたという。本書の特徴のひとつは、このように著者自身が同じようなマイノリティ経験を持っている点だろう。だからこそ「理解してもらえること」「仲間がいること」などに深い共感があり、それがよりわかりやすく伝わってくるのだ。

 さらに当事者会が全面的に協力しているのも信頼できるポイントだろう。当事者はもちろん、その家族や支援者、研究者、メディアなどさまざまな声が丁寧に集められており、APDとは何か、どのような困難や苦しみがあるのか、そして社会には何が求められているのか、見えていなかった多くの「現実」を知ることができる。

 実は五十嵐さんには取材を重ねるほどに「当事者ではない自分に何ができるのか」と迷いが生じ、本の執筆自体は難航したのだという。最終的には「APD当事者の隣に立つ共事者(社会の一員としてその物事を共にし、ゆるふわっと当事者を包む存在)になる」と心を決めて前に進んだ五十嵐さん。本書にはそうした戸惑いも素直に吐露されているが、むしろその姿に私たちは自らの心を重ね、共に未来を向くことができるように思う。もしかすると身近な隣人にもAPDに苦しむ人がいるのかも……そんな気づきを得られるのも「誰一人取り残さない社会」への第一歩だ。まずは本書でADPを知ることから始めよう。

文=荒井理恵

※現在、平野浩二先生の医院でAPDの診察は終了しています。

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