W杯日本代表の躍進に感動した後にこの1冊! 万国のサポーター“民”に取材して見えた、サッカーが持つ大きな意味

社会

公開日:2022/12/30

聞き書き世界のサッカー民 スタジアムに転がる愛と差別と移民のはなし
聞き書き世界のサッカー民 スタジアムに転がる愛と差別と移民のはなし』(金井真紀/カンゼン)

 2022年のカタールワールドカップは日本代表が強豪国のドイツとスペインを破り(コスタリカには敗れたが)、前回のロシア大会に続きグループリーグを通過。4度目となる決勝トーナメント進出を果たした。クロアチアに敗れベスト16で敗退し、目標のベスト8はならなかったものの、日本サッカーにとって成長と希望が見えたすばらしい大会であった。

 ワールドカップは国の代表チームが戦う4年に1度の世界大会だが、一方で各国のサッカーの裾野には人々の生活に根付いたクラブチームが存在する。例えば日本ではJ1をトップに、J2、J3とプロリーグがあり、その下にアマチュアのJFL(日本フットボールリーグ)、そして9つの地域リーグ、都道府県リーグが存在している。世界ではヨーロッパを中心にそれぞれの都市、地域にクラブチームが存在し、そこに住まう人々のアイデンティティとして象徴ともなっている。そんなクラブチームを愛する人々を“サポーター”と呼ぶ。

聞き書き世界のサッカー民 スタジアムに転がる愛と差別と移民のはなし』(金井真紀/カンゼン)は、そんな世界のサポーター“民”に取材し、サッカーを通して語られる彼らのリアルを知ることができる一冊だ。

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 イタリアのサッカーリーグ、セリエAのフィオレンティーナひと筋であるフィレンツェのティノさんは「ティフォージ」と呼ばれる熱狂的、というか狂信的なサポーター。サッカー観戦というよりは暴れることが目的で、アウェーの試合に遠征に行けば対戦チームのサポーターと乱闘し、敵地で“勇敢に闘ったよ”と語る。ティノさんの実家がある地区は移民が多く、いわゆる貧困層が多い。麻薬や犯罪の誘惑が多いこの地区で暮らすには、その一線を越えないよう断ち切る勇気が必要で、サッカーがあることによってギリギリ踏みとどまっているという。また1990年のイタリアワールドカップの時には、フィレンツェでイタリア代表とメキシコ代表の壮行試合があったが、ティノさんは自分はフィレンツェ人であってイタリア人ではないとしてメキシコを応援したという。都市国家の歴史が色濃く残るイタリアならではのサッカー観が面白い。

 メキシコのロヘリオさんはNGOに所属して子どもたちにサッカーを教えている。麻薬戦争が苛烈を極めた2000年代には、乗っていた車に7発もの銃弾を浴び左目を負傷したものの九死に一生を得たという人物。彼が子どもたちに教えるサッカーは、イエローカードやレッドカードではなく、チームメイトのことを考えてプレーした子にグリーンカードが出される。上手さや強さではなく他人を思いやることが褒められるのである。「サッカーには“いま”がある。ここでサッカーをしたことが、意味あることとして彼らの記憶に残ればいい」というロヘリオさんの言葉はとても重い。

 また、サッカーがいまだマチズモの色濃い競技であることも本書から窺うことができる。女人禁制の応援団があったり、女性がスタジアムに入ることさえ禁じられているイラン。そして性的少数者などLGBTへの理解も進んでいないサッカー全体の実情も感じられる。

 先のワールドカップ開催前には、開催国であるカタール政府のLGBTへの差別に対してフランス、ドイツ、イングランドなどの欧州のチームが抗議をした。一方で日本サッカー協会はこの問題に対して明確な抗議をせず、棚上げとも取れる発言をしたことは残念でもあった。

 サポーター“民”たちは自身の人生と重ねてサッカーを語る。サッカーを知ることは言語と同じであり、著者の金井真紀さんはコミュニケーションにおいてサッカーが持つ力強さを実感されているのだろう。サッカーが試合の勝ち負けに一喜一憂するスポーツではなく、その存在自体が彼らにとって大きな意味を持っていることに、羨ましくもあり、嬉しくもなる一冊である。

文=すずきたけし

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