「おまえの母性本能に手ェつっこんで奥歯ガタガタゆわしてやる!」ヨシタケシンスケの妄想膨らむ小さな日常スケッチをまとめたデビュー作

文芸・カルチャー

公開日:2023/6/11

しかもフタが無い(ちくま文庫)
しかもフタが無い(ちくま文庫)』(ヨシタケシンスケ/筑摩書房)

 ヨシタケシンスケさんの本は、まずタイトルが魅力的だ。『しかもフタが無い(ちくま文庫)』(筑摩書房)なんて、前後の状況を想像せずにはいられない。なんのフタだろう。ペットボトルや瓶というより、絵具や薬の入ったチューブなど、すぐには見つからない、つま先で触れただけで思いがけない隙間に入ってしまうような、小さなものに違いない。しかも、ってことは、泣きっ面に蜂的な、途方に暮れるような状況なんだろう。急いで出かけなくちゃいけないのか、何かをこぼしてしまったのか。わからないけど、情けなくしょんぼりした誰かの背中が浮かんでくるようだ。実際、表紙のイラストはそんな感じ。そうやって、ヨシタケさんはちょっとした言葉とイラストだけで、私たちのふだんしまい込まれた想像力を刺激して、つかのま、楽しい気持ちにさせてくれる。

しかもフタが無い P.40-41

 ヨシタケさんが日々手帳を持ち歩いて、つれづれアイデアをスケッチしているのは有名な話である。『しかもフタが無い』は、30歳までに描きためたスケッチを一冊にまとめた、ヨシタケさんのデビュー作を文庫化したもの。絵本作家になる前のことだから、そこにわかりやすいストーリーはない。日常で見かけたことや、ふっと思いついたことが、断続的に並べられているだけ。色やデザインを変えて章のような区切りは存在しているけれど、そこに意味があるのかといえば、たぶんない。でも、意味を見いだそうと思えば、たぶんできる。すべては読者である私たちに委ねられている。そういうところは、今も昔も何も変わっていないのだなと、読んでいると(というよりパラパラ眺めているとという感じだが)、嬉しい気持ちになってしまう。

“何かができそうな朝”と“もうダメだの夜”。「おまえの母性本能に手ェつっこんで奥歯ガタガタゆわしてやる!」と言う凶悪な顔のかわいい子。「満たせ! 性的好奇心!!」と両手をあげて叫ぶおじさん。「あなたが自由にできるかどうかは私の自由。」みたいな格言めいた言葉。

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しかもフタが無い P.88-89

 どれが心に留まるかは、人によって、読むときのコンディションによってもちがうだろう。あるある、と共感したり、なんじゃそりゃ、と笑ったり。タイトルと同じように、前後の余韻をみずから膨らませずにはいられないイラストと言葉の数々に、この一冊さえあれば一生楽しめるんじゃないかとすら思う。

 これも有名な話だが、ヨシタケさんの描く絵はびっくりするほど小さくて、200倍に拡大して絵本の表紙にしたこともあるという。手帳に描きこむから、ではなくて、ちっちゃい絵しか描けないというのだ。それはたぶん、ヨシタケさんが、自分の掌におさまるスケールの世界を、とても愛しているからなんじゃないかと思う。

しかもフタが無い P.146-147

 ちっちゃくて、大した成長もなくて、なんなら後退していることすらある日常を、あれこれ妄想を膨らませることで、宇宙より壮大な世界に変えていく。そんなヨシタケさんのスケッチに触れるうち、私たちも一緒に、世界を広く深く育ててみたくなるのである。

文=立花もも

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