「死」から始まり「社員食堂の昼」で終わる短歌。5・7・5・7・7の最後の7音で世界がひっくり返る名作短歌集

文芸・カルチャー

公開日:2023/6/13

窓、その他
窓、その他』(内山晶太/書肆侃侃房)

 短歌の最後の句、57577の最後の7のことを「結句」という。

 歌集『窓、その他』(書肆侃侃房)に収録されている367首は、そのほとんどが「世界の完成が結句にある」歌である。

テーブルの脚のくらがりひそかなる沼ありてひたす日々の足裏を

 まず「テーブルの脚のくらがり」がある。そのくらがりを「ひそかなる沼」と喩えた。そこにいきなり、「足裏」がドンと出てくる。テーブルの脚のくらがりには、私の足裏が、私性があったのだ。

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 結句から逆再生されるように、歌の全貌が見えてくる。これが作者である内山晶太の技術である。

 本書は2012年に六花書林より内山の第一歌集として出版され、2023年に書肆侃侃房より「現代短歌クラシックス」シリーズの10冊目として復刊された。書肆侃侃房にシリーズの意義について伺ったところ、「『林檎貫通式』(飯田有子)や『四月の魚』(正岡豊)をはじめ、多くの大事な歌集が図書館や古書などでないと手に取れない状況を解消したいと思い、新装復刊のシリーズとして立ち上げました」とのご返答をいただいた。『窓、その他』が「現代短歌クラシックス」で復刊されると発表された時、「(比較的新しい歌集ですら)もうクラシックスなのか」と、驚きの声がSNSで上がったのを覚えている。多くの主要な歌集は、すでに版元品切れとなり、一般に流通していなかったのだ。

 本書は「生活者としての歌」が多いことでも知られている。2首上げてみよう。

死ののちのお花畑をほんのりと思いき社員食堂の昼

フマキラー振り撒きし部屋に足のべて降りしずむ毒の気配みており

「社員食堂」「フマキラー」という身近な言葉が含まれていることで、「死」「毒」という不吉な予感が、同じく生活者である読者の隣に立つ。それも、すごく静かに。内山の短歌は、声を荒らげたり、強い物言いをしたりしない。1首目、「死」という強い言葉が初句にありながら静かな情景を描写し、結句を「昼」で留めている。死と生活とは、こんなにも距離が近い関係にあるのだ。また2首目、我々は生活をしていて、フマキラーが「毒」であることを、ことさら意識することはないのではないだろうか。結句「毒の気配」が初句の「フマキラー」に向かって、それは確実に毒なのだ、と言っているようだ。足をだらりとのべながら。

 短歌ブームと言われている。若手歌人の新刊が次々と刊行され、平積みになり、重版の決定がSNSを駆け巡る。しかし、ブームに至るまでにどのような歌集があり、どのような歌人がいたのかを知ることも、現代に生きる読者にとって必要なことなのではないだろうか。新鮮な気持ちで「現代短歌クラシックス」シリーズを読んでおきたい。

文=高松霞

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