『三千円の使いかた』原田ひ香の新作は、作家の蔵書を集めた「夜の図書館」が舞台。美味しいまかないとコーヒー、人間の表裏を味わえる一冊

文芸・カルチャー

公開日:2023/6/21

図書館のお夜食
図書館のお夜食』(原田ひ香/ポプラ社)

 図書館が好きだ。荘厳な雰囲気、若干の重苦しさを含んだ静けさ、古い紙とインクの匂い。学生の頃から、時間が許す限り図書館に入り浸っていた。しかし、大抵の図書館は17時に閉館する。夜も開いている図書館があれば。これまでの人生において、何度そう思ったかわからない。だから、原田ひ香氏の新著『図書館のお夜食』(ポプラ社)のタイトルを目にした時、思わず引き寄せられた。

 主人公の樋口乙葉は、駅ビル内の書店でアルバイトをしていた。だが、身に覚えのないトラブルに巻き込まれ、退職を余儀なくされる。そんな乙葉のもとに、ある日SNSを通じてメッセージが届いた。そこに書かれていたのは、「夜の図書館で働きませんか」という仕事の誘いだった。

「夜の図書館」は、19時から0時まで開館している。一般の図書館とは品揃えも異なり、すでに亡くなった作家の蔵書だけを取り揃えている。閲覧は自由だが、貸し出しはしていない。実質は、“本の博物館”に近い様相である。

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 自分が好きな作家が、生前どんな本を読んでいたのか、興味を持つ人は多いだろう。蔵書にマーカーや付箋を貼った跡があれば、尚のこと興味深い。本好きの乙葉も、「作家の蔵書を置いている」点に強く惹かれた。寮付きで待遇が悪くなかったこと、オンラインで面接したオーナーの人柄にも後押しされ、乙葉は「夜の図書館」への就職を決める。

「夜の図書館」には、シンプルな内装のカフェがある。そこで、シェフの木下さんがまかないを出してくれるのだが、これが何とも美味しそうなのだ。メニューは、すべて既存の書籍に登場する食事を再現している。例えば、『赤毛のアン』に登場する「パンとバターときゅうりのサンドイッチ」や、田辺聖子氏の書籍に出てくる「鰯のたいたんとおからのたいたん」など。

 乙葉がはじめて勤務した日のまかないは、「しろばんばのカレー」だった。井上靖氏の『しろばんば』で、おぬい婆さんが作るライスカレー。一口目はマイルドなのに、徐々にスパイシーになっていく。過去、銀座の有名店に勤めていた木下は、コーヒーの味も絶品だ。まかない1食、コーヒー付きで300円。乙葉の言葉を借りれば、「控えめに言って、最高」である。

 しかし、「夜の図書館」では、厄介な騒動もしばしば起こる。風変わりな図書館だけに、一癖も二癖もある客が訪れては、さまざまな問題行動を繰り返すのだ。図書館員の仕事は、「本の整理」だけではない。人の往来が生まれる場所には、必ず人の想いが流れ込む。それらを汲み取り、適切に対応することもまた、図書館員の仕事である。

 とはいえ、それは言うほど容易くない。あからさまな悪意に対しては、きっぱりと「No」を突きつけることもできよう。しかし、ある種の思慕や執着から困難な要求をされた場合、安易に追い返すわけにもいかない。

 第2章に登場する田村淳一郎は、まさに“曲者と呼ぶにふさわしい客であった。アポもなく突然やってきて、自身が敵対していた作家・白川忠介の蔵書をすべて見せろと迫ったのである。傍若無人な振る舞いで自分の要求を押し通そうとする田村の言動は、腹に据えかねるものがあった。それでも、乙葉たちスタッフは、彼の要求に応えようと最大限の努力をする。結果、彼は帰り際、スタッフ全員に握手を求めるほど深い感謝の意を示した。

「こういう時のために、この仕事はあるんだ。こういうことのためにオーナーはここを作ったのかな、と思いました」

 田村淳一郎が帰ったあと、マネージャーの篠井はそう言った。死者は、言葉を持たない。だが、故人の想いが遺品の中に残されていることはままある。「本」は、その最たるものだ。どんな言葉を好み、どんな作家を愛したのか。本棚を見せることは、心を見せることと同義である。その痕跡に救いを見出す人は、存外多いのだろう。

 美味しいまかないが出る、風変わりな「夜の図書館」。スタッフたちが抱える秘密と、訪れる客たちの個性的なキャラクターが、本書に程よいスパイスを添えている。

 私も、こんなところで働いてみたい。故人となった作家の蔵書に触れ、その人の心に触れてみたい。そして、木下さんのまかないとコーヒーを味わいたい。――そんな空想に耽りながら本書を読んだら最後、きっと誰もが、「夜の図書館」に行きたくなるだろう。

文=碧月はる

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