モデルは太宰治と井伏鱒二。「死ぬ」と脅す弟子と振り回される師匠の笑いと狂気のメロドラマ

文芸・カルチャー

公開日:2023/6/19

ツダマンの世界
ツダマンの世界』(松尾スズキ/白水社)

 松尾スズキさんの戯曲『ツダマンの世界』。昨年冬に東京・Bunkamuraシアターコクーンと、京都・ロームシアター京都メインホールで上演されたお芝居です。主演は阿部サダヲさん。単行本の帯には「笑いのしたたる、狂気のメロドラマ」とあります。筆者は実際に劇場で観ましたが、たしかに狂気のメロドラマでした。

 お芝居の戯曲は実際に観劇していないと読みづらかったりするので、苦手だという人もいると思います。しかし『ツダマンの世界』は、台詞一つ一つに勢いがあり「な、なんかすげぇ……」と感じてもらえると思います。

 というわけで今回は、初心者でも楽しめる『ツダマンの世界』(松尾スズキ/白水社)をご紹介しましょう。

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自分勝手な弟子と、それに振り回される師匠

 舞台は、戦前から戦後にかけての昭和初期。小説家・津田万治=ツダマンの半生を、津田家の女中や縁のある人々からの視点で振り返るというストーリーです。ところが話す人物によってツダマンの印象は皆バラバラ。“ツダマンとはどんな男だったのか?”を、探ることがこの物語の大きなテーマ。

 ツダマンの人生には、さまざまな人間が関わっているのですが、その筆頭が弟子の葉蔵(ようぞう)。どうしてもツダマンの弟子になりたかった葉蔵は、「弟子にしてくれなければ死ぬ」と脅しをかけます。このエピソードでピンときた方もいると思いますが、この二人、井伏鱒二と太宰治がモデル。トラブルばかり起こす太宰治と、ついつい面倒を見てしまう井伏鱒二の奇妙な関係をモチーフにしています。

 突然押しかけてきて物騒なことを言う葉蔵を、突っぱねるツダマン。すると葉蔵はショックで失踪。「まさか死ぬ気では?」と心配したツダマンが慌てて探しに行くのですが、当の本人はホテルで女とよろしくやっているのです。なんて人騒がせな!

 葉蔵は一事が万事こんな調子で、ツダマンは振り回されてばかり。でも、どういうわけか葉蔵を弟子にすることを決めます。

 井伏鱒二も薬物中毒の太宰の入院を世話したり、結婚相手を探したり、着物を売ってまで飲み代の肩代わりをしたりと、なぜそこまでするの? というくらい面倒を見ていたようですね。ひとえに才能に惚れ込んでいたのが理由だそうですが、天才の考えることはよくわからない。

 ツダマンと葉蔵の愛憎渦巻く師弟関係を「井伏鱒二と太宰治もこんな感じだったのかなぁ」と思いながら読み進めるのも面白い。

この物語は一体誰の視点で書かれているのか?

 やがて戦争が激化。小説家のツダマンも戦地へと駆り出されます。前線に立つツダマンのもとには毎日のように葉蔵からの大量の手紙が。これまた「返事を書いてくれなきゃ死ぬ」という葉蔵のために行軍をしながら必死で読むツダマン。戦地に出てもなお葉蔵に振り回されて本当に不憫です。

 そんなツダマンのもとにある日、葉蔵から思いがけない手紙が届きます。その内容は、葉蔵の書いた小説が月田川賞候補(架空の文学賞)に選ばれたというもの。

 戦地で作品を書けないツダマンにとって、これは非常にショックな出来事でした。もし葉蔵が月田川賞を受賞したら、弟子に先を越される形になるからです。弟子の受賞を願う反面、先を越されるのは我慢ならないツダマン(劇中では、ツダマン演じる阿部サダヲさんが怒りのドラムを叩いていました)。

 ところが戦争によって選考会は中止に。葉蔵の月田川賞受賞は夢に終わります。そして日本に戻ってきたツダマンと、今度こそ月田川賞をめぐる師弟対決が始まるのです。果たして先に受賞するのはどちらなのか!? ……ネタバレになってしまうので結果はここでは伏せますね。表向きはお互いを認め合うかのように振る舞うツダマンと葉蔵ですが、水面下ではツダマンは葉蔵に強く嫉妬してるし、葉蔵はツダマンを踏み台にしようとしてる。とにかく二人の関係は複雑。

 さらにツダマンの妻・数や、数に恋い焦がれる売れっ子作家の大名狂児、葉蔵の愛人・房枝など、周囲を取り巻く人間たちによって、物語はどんどん複雑化していきます。登場人物みんなめちゃくちゃで、狂気。

 ツダマンと葉蔵のこんがらがった関係にどうやって終止符は打たれるのか、この物語は一体誰の視点で書かれているのか、すべての答えは最後に明らかになります。

 お芝居を文字で見ると、舞台で観るのとはまったく違った印象を受けます。それが戯曲の面白いところなんですよね。ぜひ阿部サダヲさんになりきって声に出して読んでみてください。

文=中村未来

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