母80代、娘50代。水と油のふたりが再び同居したら……? 親という“もっとも身近な他人”と付き合うヒント

マンガ

更新日:2023/10/4

初老の娘と老母と老猫 再同居物語
初老の娘と老母と老猫 再同居物語』(松本英子/朝日新聞出版)

 どうもそりが合わない。距離が近くて遠慮がない分、一緒にいるとイライラしてしまう。肉親との関係に、そんなモヤモヤを抱えている人は意外と多いのではないだろうか。特に、母と娘の間はこじれやすいもの。就職や結婚を機に親元を離れ、気持ちがラクになった人も少なくないだろう。

『謎のあの店』(朝日新聞出版)や『荒呼吸』(講談社)、『旅する温泉漫画 かけ湯くん』(河出書房新社)などで知られるマンガ家の松本英子さんも、母親とは微妙な間柄だった。喜怒哀楽が激しく、何でもテキパキこなす母。母親の嵐のような激情に晒されながらも、自分を曲げることはしない松本さん。水と油のように相容れないふたりは、若かりし頃からバチバチとぶつかってきた。松本さんが27歳で結婚して実家を出てからは、母娘それぞれの道を歩んできた。

初老の娘と老母と老猫 再同居物語 p.12

初老の娘と老母と老猫 再同居物語 p.13

 だが、歳を重ねたことで、ふたりの関係に変化が訪れる。病気を患い、以前のような勢いのないひとり暮らしの母。離婚を経験し、更年期という大波に見舞われている松本さん。それぞれ80代と50代になり、お互いに体力も気力もパワーダウン。かつてのように、感情をぶつけ合うこともめっきり減っていた。「帰ろう」──母の様子を見た松本さんの心にそんな思いがごく自然に湧き上がり、松本さんは約23年ぶりに実家で暮らすことになる。

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初老の娘と老母と老猫 再同居物語 p.6

初老の娘と老母と老猫 再同居物語 p.7

 このたび発売された『初老の娘と老母と老猫 再同居物語①』(朝日新聞出版)は、そんな松本さん母娘と老いた猫の暮らしをつづったエッセイマンガだ。以前のように衝突することはないとはいえ、これまでひとりで自由に暮らしてきたふたりが同居すれば、波風立たないはずがない。ひとりだった時は、気が進まなければご飯を簡単にすませていた母も、娘がいれば料理せざるを得ない。松本さんは松本さんで、家の用事が多くてなかなか仕事が進まない。ストレスのせいか母娘そろって夜うなされ、やがて母は「ひとりのほうがよかった」とポツリ。同居生活の中でチクチクとささくれ立つ感情を、淡々と、だが実にこまやかに描き出している。

 中でも心に刺さったのが、トイレットペーパーをめぐるエピソードだ。母親はシングル派、松本さんはダブル派。とはいえ、ホルダーにセットできるのはどちらか片方だけ。松本さんが紙を使い切った時にはダブルのペーパーを、母親が使い切った時はシングルをセットするのが不文律だった。だがある日、松本さんはトイレの窓辺にシングルのペーパーが置かれていることに気づく。母親は松本さんがセットしたダブルを使うのをやめ、自分はあくまでもシングルを使うことにしたのだ。それを見て、松本さんはふと思う。窓辺に置かれたシングルのペーパーは、同居の不自由さの象徴。自分がダブルを使い続けていたのは、いつか母親もダブル派になることをどこかで期待していたのかもしれない、と。この出来事を機に、松本さんは時間をかけてシングル派に変容していく。相手を自分に従わせようとするのではなく、許せるラインは妥協する。取るに足りないささやかな事件かもしれないが、これこそが人と折り合いをつけて暮らすことの本質ではないか。

初老の娘と老母と老猫 再同居物語 p.104

初老の娘と老母と老猫 再同居物語 p.105

 このほかにも、同居生活を始めた松本さんの身には、さまざまな出来事が降りかかる。築50年、いろいろとガタが来ている家をどうすべきか。通販で商品を注文したことを忘れ、「頼んでいない」と言い張る母にどう接するべきか。ひたひたと忍び寄る老後の不安を、どうやり過ごすか。真正面から向き合うと深刻になってしまいそうな問題もあるが、気に病みすぎず、ひょうひょうと描いているので読んでいて疲れない。こうしたゆるゆるとした空気も、年齢のなせる業かもしれない。

 高齢化が進む中、ひとりで暮らす「独居老人」は年々増加傾向にある。実家に帰る決断はつかないながらも老親が気がかりな人、いつか来る介護や看取りの日に向けて心の準備をしたい人も多いだろう。このマンガには、そういった人たちに「こういうケースもありますよ」とさりげなくヒントを示してくれる。親というもっとも身近な他人と折り合いをつけて生きるには、どうすればいいのか。何気ない日常を慈しむまなざしとともに、これからの世の中で大切な考え方が語られていく。

文=野本由起

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