本を食べる女、耳の中に入り込む男、肉の海を掻き分ける男。人間の体の部位を切り取った奇妙奇怪な短編小説集

文芸・カルチャー

更新日:2023/7/13

禍
』(小田雅久仁/新潮社)

“人間の〈からだ〉以上に不気味なものはない”

“〈からだ〉は生きて動くものでありながら、つねに〈死〉を孕んだものとして存在している”

 約10年間にわたり、人間の〈からだ〉にこだわり、執筆と改稿を繰り返した末に「これこそは自信をもって世に送り出せる」と著者自身が太鼓判を押す7つの怪奇小説を集めた短編小説集『』(小田雅久仁/新潮社)が刊行された。

 冒頭に引用したように、著者は人間の〈からだ〉を不気味なもので、〈死〉を孕んだものであると表現している。「口」をモチーフにした話は、書物のページを貪る女を見た男がその行為に取り憑かれる話、「耳」を主題にした、耳から相手の体の中に潜り込む技術を体得した男の話、「肉」を主軸に据えると、ふくよかな女の肉に魅せられた男が欲望に溺れ肉の海を掻き分けていく話と続いていく。確かに、〈からだ〉の部位が死の入り口になっているようで、不気味である。しかし一見すると突飛でいかにも空想的に思えてしまう。

 ただし、読む者に有無を言わせぬ説得力が文章に備わっているとなると話は変わってくる。巧みな比喩表現と論理的な筆致が文章に重みを加えてくれる。主人公の行動に妙な納得感があり、予想外で奇怪な展開も、論理に従ったごく自然で現実的な着地点のように思えてくるのだ。

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 また、こういう考え方もできるかもしれない。よくよく見ると奇妙極まりないものである〈からだ〉を、現実的に受け入れ、特に気にもとめず暮らしているのであれば、その〈からだ〉に魅せられ、囚われ、引き摺り込まれる展開もまた、起こりうる何らおかしなものではないのだ、と。

〈死〉を孕む不気味な〈からだ〉を平然と受け入れている時点で、この物語も受け入れざるを得ない、そんな説得力が備わっている。

知らぬ間に〈からだ〉の不気味さを刷り込まれるサブリミナル効果のよう

“ぬるりとした感じの撫で肩で、頭がきゅっと小さくてうなじがコブラのように太い。”
P.58『耳もぐり』

“指一本ぐらいなら呑みこんでしまいそうな深い臍、搗き立ての餅のように床でべったりとへしゃげる巨大な臀部……”
P.155『柔らかなところへ帰る』

 ほんのちょっと顔を見せる、主題とは直接関係のない体の部位の描写に引き込まれてしまう。単なるうなじでは引き立てられていなかった不気味さや毒々しさや欲のようなものが、「コブラ」という比喩によって生み出されている。深い深い臍の穴が、雑食性の生き物の口のように見えてくる。今にもへばりつく粘着性を思わせる臀部は、触れた途端に手と癒着してしまうのではないか、あるいはあまりの粘着のために臀部の一部が逆にこちらを掴みかかるのではないか、と探究心を駆り立てる……。

 主題となっている体の部位だけにとどまらない比喩表現は、我々に、もっと人間の体の奇妙さを観察して、想像を掻き立てろと言いたげである。実際、サブリミナル効果のように脳内に刷り込まれていき、〈からだ〉が不気味でグロテスクさを内包したものだと思わせてくれる。

アンバランスな肉に2本の足をつけて歩かせている

 人間の体がアンバランスだな、という感覚は実は僕にもあった。

 平日に2回以上大浴場に入るため、僕は裸体のおじさんを普通よりも多く見る環境にある。ただ裸体のおじさんを真正面から見るのは少し気が引ける。しかし代わりに、背面観察にかけては権威と言うにはおこがましいが、それなりに見てきた。

 本書を読むまでは、何となく人間の体はアンバランスなところがあるなと思う程度のものだった。しかし読後には、そのアンバランスな肉たちが奇妙な物語となって語りかけてくるのを感じるようになった。

 ある男のお尻には、真一文字の青黒いアザが染みついている。何か鬱血を促す食い込みやすい鉄の棒に絶えず座り続けることを生業にしていたのかもしれない。あるいは特殊な形の便器を常用していて変な圧と摩擦がかかった結果なのかもしれない。

 またある男は、豊かな体毛が背中一面に生い茂っており、まるで玄関マットを背負っているかのようである。全身が特別もさもさな剛毛というわけでもないのに、その体毛はどうして背中に生えることを選んだのか。もしかしたら、中枢神経系を支配する虫がいて、毛の中を住処としているのかもしれない……。

 よくよく眺めれば、直立した時に鼻が一番前に突き出ていることも変な感じがするし、目はあまりにその人間を象徴しすぎるし、腹はあまりに肉を集めすぎるので奇妙だ。鎖骨が浮き出ているのも、お尻の形も、頭の毛を大事にしすぎるのも、指が5本あるのも考えれば考えるほど変に思えてくる。一度違和感を覚えてしまえば、その部位がその形でその場所にある蓋然性が失われ、ひどいアンバランスさに怯え、妙な妄想が走り始めるだろう。

 10年間〈からだ〉のもつ不気味さについて考え込まれた本書を読めば、安直に言ってしまうと人間の〈からだ〉を見る目が変わる。後戻りはもはやできまい。大衆浴場のおじさんたちは、肉体の部位ごとに切り離され、独立して足を生やして歩き出し、それぞれが抱える奇妙な物語を聞かせてくれるかもしれない。その時、僕の耳もまた独立して歩き出していて、誰かに物語を囁いている最中かもしれないが。

文=奥井雄義

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