東村アキコが自身の半生を綴った『かくかくしかじか』。死ぬ気で何かに向き合う“生き様”が美しい傑作コミック

マンガ

更新日:2023/7/8

『東京タラレバ娘』や『海月姫』でおなじみの漫画家・東村アキコ氏が表現者としてすごい理由のひとつに、「強さ」があると思う。これほど濃密なストーリーと高い熱量を持つ作品を、何作も描き続けられる強さの根源が、この『かくかくしかじか』(集英社)を読むと理解できる。

 本作は、著者が、美大合格を目指した高校時代から人気漫画家になるまでの半生を綴った作品。宮崎に生まれ、幼い頃から漫画家を夢見ていた高校3年生の主人公・明子は、美大で絵を学びながら漫画を描き、学生時代に作家デビューするという青写真を描いていた。そんな中、友人に誘われて美大受験に必要なデッサンを学ぶため、海沿いの古い民家で営まれる絵画教室へ。そこで出会った「先生」こと日高は、竹刀を振り回し、生徒を罵倒しながら絵を描かせるスパルタ絵画教師だった。

 日高絵画教室で猛烈に学んだ甲斐あって、明子は国立の美大の油絵科に合格。漫画も描かず遊び暮らした大学時代を経て地元で就職してからは、アシスタント講師として日高絵画教室を手伝うことに。恩師であり、相棒でもある先生との奇妙で特別な絆が育まれていくが、漫画家として本格的に活動するため大阪に移住してからは、先生との連絡は途絶えがちになり――。

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 美大を目指したことのある人やアートに携わる人だけでなく、がんばって生きてきたけれども、「あの時、ああしていれば」という過去を抱える人なら誰もが、涙なしでは読めない。自分のことで頭がいっぱいで、もらったものの大きさに気付けなかった幼さ。自分の可能性を疑わない恩師のまっすぐさが怖くて、逃げ出した過去。著者の率直すぎる告白と、後悔の感情が視覚的に伝わるリアルな情景描写の数々に、思わず叫んで顔を覆いたくなる。

 しかしやはりさすがの東村アキコ作品、思い切り笑える自伝コミックでもある。人からしたら些細なことかもしれないけどリアルに思い出せる昔の出来事や、忘れられないあの人のちょっとした一言など、「あるある」と感じさせるエピソードの描写に唸る。違う人生なのに、自分の身に起きたことのように共感できて可笑しい。

 ただ、何よりも心を揺さぶるのが、日高先生という存在の大きさだ。生徒たちに「描け」と繰り返し、時に暴力的に絵を描かせ続けた先生は、その極端な行動で、表現者の道という厳しい世界を生き抜くために大切なものを教える。

 根性論は古いし、もちろん暴力は許されない。しかし、人生で一度でも死ぬ気で何かに向き合ったことのある人は強いということを、この物語と、東村アキコという作家が生み続ける作品の凄みが、動かぬ事実として伝えている。

 著者が本書で語るとおり、先生は大切なことをすべて知っていた。しかし、ここまでピュアに教え子の本気を引き出そうとする、突き抜けた愛を持つ指導者はもう時代が許さないだろう。そう考えると、こんな作品はこれから生まれることはないし、日高先生の存在、そして『かくかくしかじか』という作品が伝えるメッセージは尊い。人生で道に迷ったときに読みたい、一生もののコミックだ。

文=川辺美希

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