『お母さんのおむつを替えた日』に限界を迎えた――母親に依存され世話をする大学生、ヤングケアラーを描くコミックエッセイ

マンガ

更新日:2024/3/25

お母さんのおむつを替えた日 ヤングケアラーの見つけ方
お母さんのおむつを替えた日 ヤングケアラーの見つけ方』(一ノ瀬かおる、福田旭/竹書房)

 本来、大人が担うとされている家事や家族の世話などを日常的に行う「ヤングケアラー」の現状は、近年少しずつ明らかになってきている。だが、他者から見えにくい「家の中」で事態が進行しているため、支援の手が届きにくいのも事実だ。

お母さんのおむつを替えた日 ヤングケアラーの見つけ方』(一ノ瀬かおる、福田旭/竹書房)は、そんなヤングケアラーの苦しみをありありと描いたコミックエッセイだ。

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 ページを開くとまず、目に飛び込んでくるのが、ヤングケアラーである旭に向けた、母・花の衝撃的な言葉。

“私が死ぬかもしれんのに あんたは大学に行くんか 私を殺すんか…”(引用/P5)

 学業よりも家族のケアを優先しなければならない旭の日常にグっと引き込まれる。

 旭は、花が37歳の時に産んだ子だ。3歳の頃、父親が病死し、果物屋だった一家の生活は変わる。花は自宅の土間でお好み焼き屋を始め、生活費を稼ぐようになった。

 そして、花にはもうひとつの顔が。不思議なことに神仏や先祖の声が聞こえる人であったため、友人や知人の相談に乗るようになっていったのだ。自分が持つ力への評判が人づてに広まっていくと、花は夜中まで相談に応じたり、旭を連れて遠方の相談者のもとへ行ったりするようになっていく。

 花が受け取る相談料は必要最低限なため、家計は苦しい。旭は花に言われ、友達と遊ぶことや学校へ行くことよりも、家事や相談者のもとへ同行することを優先させるようになっていった。

 やがて、花はお好み焼き屋を畳み、より多くの相談に乗るようになる。中学生になった旭は光熱費の支払いをするなど家計をやりくり。父方の祖母が他界した時には、ひとりで父方の親戚のもとへ行かされ、遺産相続の話し合いをさせられた。

お母さんのおむつを替えた日 ヤングケアラーの見つけ方 P62

お母さんのおむつを替えた日 ヤングケアラーの見つけ方 P63

 高校入学後、旭の日常はますます不自由なものに。花は常に体調を崩していたため、旭が担当する家事は増えた。相変わらず、学業よりも“家のこと”を優先させる母。旭は不満を募らせたが、気持ちを口に出すことはできなかった。

お母さんのおむつを替えた日 ヤングケアラーの見つけ方 P79

お母さんのおむつを替えた日 ヤングケアラーの見つけ方 P80

 大学入学後、旭にさらなる悲劇が襲う。布団から出てこない時間が増えた花は旭に依存し、大学へ行くのを引き留めるようになったのだ。旭はネガティブになりやすくなった母を励ましながら見守ったり、代わりに家事をこなしたりと奮闘。

“家族のケアを「誰かに手伝ってもらう」なんて考えもしなかった ぼくの家には問題がたくさんあることはわかっていた だからこそ外に見せちゃダメだと思っていた”(引用/P113)

 自分自身の労わり方など知らないまま、病院を拒み、どんどん弱っていく母を介護する旭。その心が限界を迎えたのは、母のオムツを初めて替えた日だった。

お母さんのおむつを替えた日 ヤングケアラーの見つけ方 P121

お母さんのおむつを替えた日 ヤングケアラーの見つけ方 P122

お母さんのおむつを替えた日 ヤングケアラーの見つけ方 P123

 社会から取り残され、母のケアに人生を捧げてきた旭。果たして、彼はどうやって「家族のための人生」から抜け出し、自分の人生を取り戻すのか。

“苦しみは10年20年かけてやっと言葉になる 言葉にできたらやっと社会はぼくらを見つけられる”(引用/P184)

 旭が口にするこの言葉は重く、今この瞬間もどこかで泣きながら笑っているヤングケアラーの助け方も考えたくなる。

 厚生労働省が令和2年度に中学2年生・高校2年生を、令和3年度に小学6年生・大学3年生を対象にしたヤングケアラーの実態調査によれば、世話をしている家族がいると回答したのは小学6年生で6.5%、中学2年生で5.7%、高校2年生で4.1%、大学3年生で6.2%だった。子どもらしく生きられず、小さな大人であらねばと必死に頑張り続けているヤングケアラーは今の社会に、たしかに存在している。

 その事実を、私たちはまず知るべきだ。そして、我が子がいる場合は家の手伝いと家族のケアが混同しないよう、大人側がしっかりと境界線を引くようにしていきたい。

 また、家族のケアから解放されることがヤングケアラーのゴールではなく、その先の支援こそが大切なことも理解されてほしいと思う。私自身も実は幼少期から親の愚痴を受け止め、夫婦仲を取り持つという心理的ヤングケアラーの役割を担ってきて、自立後、生き方に悩んだことがある。経験がないため、誰かのためではなく、自分のために生きるとはどういうことなのかが分からなかったのだ。

 その問いへの答えはきっと、自分ひとりでは導き出しにくい。だからこそ、これまで抱えてきた苦しみを吐き出せ、新しい生き方を相談できる元ヤングケアラーへの支援もこの先、増えてほしいと思う。

 本作が多くの人にとって、我が子との関わり方や自分の生き方を考えるきっかけになることを心から願っている。

文=古川諭香

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