人生の主食は「自分を好きでいる」こと。肩書きやラベルに囚われない純粋な表現が詰まった、幡野広志さんの最新刊

文芸・カルチャー

公開日:2023/8/24

息子が生まれた日から、雨の日が好きになった。
息子が生まれた日から、雨の日が好きになった。』(幡野広志/ポプラ社)

 SNSを使うことが当たり前になり、現代では「表現すること」のハードルがグッと下がった。誰でも気軽にブログを開設して文章が書けるし、インスタグラムなどで撮った写真を投稿することができる。

 そうして表現しているうちに、写真や文章が仕事になっていった人も少なくないだろう。このレビューを書いている私もまた、そのうちのひとりである。

 けれども写真や文章など、自分の「表現手段」が仕事になることには難しい側面もある。なぜなら、「自分のために表現していたもの」が、気づけば「誰かのためのもの」にすり替わってしまう可能性を秘めているからだ。

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 たとえそれが仕事ではなかったとしても、「人に見られる」という状況自体、純粋な表現を奪ってしまうことがある。もちろん、人の目があるからこそどんどん上達していく側面はあると思うけれど、人の「いいね」や評価を気にするあまり、自分自身の気持ちや立ち位置、肩書きを誇張してしまう経験は、誰しも一度くらいはあるのではないだろうか。

 幡野広志さんの新刊『息子が生まれた日から、雨の日が好きになった。』(ポプラ社)は、そのような「“表現すること”に対する違和感」が、ぶわっと吹き飛ぶような一冊だった。

 著者の幡野さんは、普段写真家や作家として活躍されている。そして2017年に自身が血液がん患者であることを公表され、また一児の父親であり、元狩猟家という肩書きも持つ。

 本書は、ポプラ社のウェブサイトで2019年から連載されていた「幡野さんの日記のような写真たち」をもとに加筆・修正と書き下ろしが加えられて出版された一冊で、幡野さんの日常生活にまつわる文章と写真が、交互に載せられている。

 この本を読むと、幡野広志さんという人間像が、いろんな角度から見えてくる。羽釜でお米を炊くのが好きなこと。ファンの名前をなかなか覚えられないこと。『ドラゴンボール』のナメック星編が好きなこと。たけのこのアク抜きを知らなくて失敗したこと。お父さんとしての一面。病気との葛藤。ふふふと笑ったり、思わずホロリと来てしまったり、感情が忙しかった。

 そして本書を読み終わった時に感じたのは、この本は、「球体」のような本だな、ということだ。

 幡野さんは、これまで複数の書籍を出版されてきた。巻末の古賀史健さんとの対談で古賀さんもおっしゃっていたが、今まで幡野さんが出されていた本はどれも、コンセプトがすごくしっかりしていたように思う。『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』では、がんになったことで生まれた葛藤や変化について書かれていたし、『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』は息子さんに向けて、そして『ラブレター』はパートナーの方と息子さんに向けて書かれた本だ。どの本でも、幡野広志さんの「立場」は明確だった。

 でもこの本は、特にわかりやすいコンセプトがあるわけではない。幡野さんの立場も決まっていない。がん患者であり、写真家であり、一児の父親であり、旅好きで、料理好きな幡野さんというひとりの人間が、いろんな角度から等身大に迫ってくる。すごく多面的で、だからこそ「球体のようだな」と感じるのだ。

 本書の「はじめに」で、「家族や写真や趣味や病気というのは人生のおかず」だと幡野さんは言う。そして、主食とは「自分を好きでいること」だと書かれていた。その言葉に、すべてが込められているような気がした。

 これは、幡野さんが誰のためでもなく自分のために書き、撮った文章と写真なのだと思う。「自分を好きでいる」ための表現。だからこそ、こんなにも読んだあとに幡野さんという人間を近く感じ、好きになってしまったのだ。

 近年、SNSや出版業界で「日記」がひそかに流行しているように思う。それはもしかしたら、自分自身を立体的に表現できる、純度を守れる表現手段だからなのかもしれない。

 肩書きを気にしたり、人の目を気にしてしまったり。そんな煩悩につい悩まされてしまう私も、こんな表現をしてみたいとつい願ってしまう、そんな素敵な一冊だった。

文=あかしゆか

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