急性心筋梗塞を経験した画家・横尾忠則が語る、常に世界を新鮮な目線で眺められる「死んだふり」のコツ

文芸・カルチャー

公開日:2023/9/13

時々、死んだふり
時々、死んだふり』(横尾忠則/ポプラ社)

 多種多様な経験を積み重ねてきて、色々な著名人と親交がある人であっても、80代半ばでまだ「こんなの初めてだ」という経験がある。ご本人にしてみれば「それはそうだろう」と思うのかもしれないが、その感覚を絵筆でササッと色を塗り分けるかのように軽やかに論じているのが、エッセイ『時々、死んだふり』(横尾忠則/ポプラ社)だ。

 本書の冒頭で著者は、急性心筋梗塞で今まさに手術室に入っていこうとするとき、付き添いに来ていた妻が「バイバイ」と嬉しそうに手を振った。その光景に心が落ち着いたというエピソードを紹介している。筆者は「一体それはどういうことなのだろう」と、普通は「なんで笑ってるの?」と、戸惑ってショックを受けるところではないのか、と感じた。だが読み進めていくと、程なくして「なるほど、そういうことか」という記述に行き当たる。

たぶん、ある時は運命に逆らって、ある時は運命に従うという、そんな都合のよいことはできないと思います。性格というか、タイプというか、どちらを選ぶかがその人の生き方です。

 著者の性格は「運命に従う」側だというが、「バイバイ」と笑顔で言われたことが意味するのは「助かるか助からないかは知ったこっちゃない、成るように成るからあとは運命に任せよう」というご夫婦の間の共通認識なのだろう。

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 著者はただなすがままに人生を歩んできたわけではなく、運命を変える努力も数え切れないほどしてきたことが語られている。ただし、ご本人は「運命を変えよう」「努力しよう」と思ったことは無いのだろう。一般的にそれは「才能」と呼ばれると思うが、自分自身の運命コントロール法に関して、「内にある衝動」に正直でいたのだと著者は説明している。

自分の運命を転換させるような衝動に直面する、そういうことは僕だけではなく、多くの人にも起こっているのではないでしょうか。
このことは、自分の意志というより、内にある衝動に逆らわずに従った結果とも考えられます。そうすると、画家に転向したことも運命に身を任せるということの延長線上にあるのかもしれません。

 実際、著者がデザイナーから画家に転身するきっかけになったのは、ニューヨーク近代美術館でピカソ展を見ていたとき。突然、「画家になる」という衝動が心に直撃してきたからだという。

 そのような「衝動の来訪」があった際、人はどのように感じるものなのか。気付きはするものの、ついついスルーしてしまう。後回しにしてしまう。そんなこんなしているうちに、その「衝動」自体をだんだんと感じ取れなくなってしまう。大学教員の経験も持つ著者は、そのような傾向に陥らないためのコツを、本書を通して読者に伝授してくれている。

 自分自身のありのままをさらけ出し、そこから「生き返る」際にフレッシュな目線で世界を眺め、よりよく生きられる「死んだふり」のハウツーを、ぜひ本書でサクッと学んでみてほしい。

文=神保慶政

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