兄弟の使用済みパンツも汚れがマシなものは使う? そんな不潔悪臭家族に、心を読めるテレパス女子が家政婦をした結果

文芸・カルチャー

更新日:2023/11/10

家族八景
家族八景』(筒井康隆/新潮社)

 目の前の相手の心の中を覗きたい! そう思ったことはないだろうか。

 好きな人の心が知りたい時、トランプ遊びをしている時、詐欺師に騙されそうになっている時……そんな時に相手の心が読めたら、どんなに楽だろうか。人間は嘘をつくことで文明を発展させたらしいが、たとえば相手の心の内を完全に把握できるようになり、嘘という概念がなくなると、我々人類は幸せになれるのだろうか?

家族八景』(筒井康隆/新潮社)は、目の前の人の心をすべて読みとってしまう七瀬というお手伝いの女性が主人公の物語だ。タイトルにある通り、8つの家を転々としてお手伝いをしながらそれぞれの家族の様子を映し出していく物語だが、彼らが抱え込む闇はあまりに深く、テレパシーで相手の思っていることを読みとっていく七瀬の姿を見ると、人の心を読む能力が決して幸福につながるものではないことに気がつく。

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 本書は、七瀬の心に雪崩れ込んでくる相手の思考をカッコ書きで記すことによって、読者が七瀬の立場を追体験できる小説である。そして、8つの家庭を転々としていくうちに、はじめは自分だけが優位に立っているような優越感に浸り、ほほう、なんて思いながら眺めることができる。しかしだんだんと、相手の思考がうるさく、煩わしくなっていくことに気がつく。人の醜い欲望や嫉妬や侮蔑が遠慮なしに、自分の心に土砂のように流れ込み、やがては心を塞ぎたくなってしまう。そして、最後には、あまりにグロテスクな結末を迎えてしまうのだが……。

読心術を追体験するうちに気がつくグロテスクな事実

 本書の面白いポイントは、ごく一般的な人間の思考から、心の中を覗くには少しばかり特殊な立場とも言える人間まで網羅している点にある。相手の心を読めることのメリットばかりに目がいきがちだが、特殊な立場の人間の思考をも読み進めてしまううちに、読心術の意外な落とし穴に気がつくことができるのだ。

 たとえば七瀬は、心を読み過ぎることのデメリットを次のように示している。

“相手の思考がどんどん流れこんできて、ついには相手の喋ったことと考えたことの見わけがつかなくなり、自分の能力を相手に知られるという非常に危険な事態になり兼ねない”

 ただし、これは相手の心が読めることが他人に露呈することの危険性だ。あくまで、相手の思考を読むことの間接的なデメリットにすぎない。怖いのは読心術による、直接的な被害だ。

数少ない綺麗な下着を取り合う、悪臭がきつすぎる家庭

 第2章の「澱の呪縛」はその点、心を読むことによる直接的な被害を受けている。その家庭は11人の子どもと両親合わせて13人家族だったのだが、強烈な異臭が漂う家だった。しかし本人たちは誰一人としてその悪臭に気がついていない。その悪臭は、読心術に限らぬ強烈な被害ではあるが、七瀬はその根源を追求し、是正していくことにする。歯ブラシは自分以外のものも平気で使い、数少ない綺麗な下着は取り合い、あぶれたものは使用済みのものの中でまだ汚れの少ないものを使う、など行間から悪臭が鼻腔を突くようである。

 そのうち、13人は自分たちの家庭がいかに不潔であったかを露呈されてしまい、無自覚だった不潔を強く自認するようになってしまう。その結果、13人は揃って、心の内に、まだ露呈されていないが自分が行ったより不潔な、排泄物や体液にまみれた事例を、各々、生々しく想起するのだ。13人分の不潔エピソードが、一気に心の中に雪崩れ込んできた七瀬は、耐えられなくなり、便所に駆け込んで胃が飛び出すのではないか、というくらい吐瀉してしまう……。

肉体的な変化における、それを見る人の生々しい心理について

 また、第1章で18歳だった七瀬は、最後の章では20歳になっており、その間に女性として肉体的な変化があった。最初の方の勤め先では「がりがりで痩せている」と心の中で描写されていた七瀬は、やがて「グラマー」で「美人」だと描写されるようになっている。

 これは、相手の無遠慮で嘘のない自分に対する評価を、好むと好まざるとにかかわらず受けてしまうことを意味しており、またその評価の先に続く生々しい欲望さえも読みとってしまうことを表している。

 実はこの能力、心をぴたりと閉ざすことで思考の流れ込みを防ぐことができるのだが、人の思考や欲望は、脈絡なく出たり入ったりするもの。知りたくないことだけに耳を塞ぐ取捨選択は残念ながらできないのだ。

 さて、ここまで読んで、あなたはそれでも「相手の心の中を覗きたい!」と無邪気に思うことができるだろうか。第2弾の『七瀬ふたたび』、第3弾の『エディプスの恋人』と続く大人気七瀬シリーズの第1弾を読んで、読心術の是非について考えてみてほしい。

文=奥井雄義

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