人間の首のような果実をつける人食い植物。恐怖とグロテスクを描いた筒井康隆の短編集の罠が恐ろしすぎる

文芸・カルチャー

更新日:2023/11/10

メタモルフォセス群島
メタモルフォセス群島』(筒井康隆/新潮社)

 1986年に現在のウクライナで起きたチェルノブイリ原発事故で、放射能濃度が高まり、現地に生息していた緑色のアマガエルが真っ黒になっていることをご存じだろうか?

 被ばくを避けるために、体内のメラニンの多い個体が生き残りやすくなり10~15世代のうちに真っ黒のアマガエルが多く生存することになったらしい。この例は、被ばくに対応するための世代間進化だが、放射線が遺伝子を破壊し、突然変異をもたらすこともあるという。

※参照: Wiley Online Library, THE CONVERSATION via NEW ATLAS, Boing Boing, NATIONAL GEOGRAPHIC

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メタモルフォセス群島』(筒井康隆/新潮社)は、表題を含む11編を収録した、恐ろしさとグロテスクが混在するブラックユーモア短編集である。表題作で描かれるのは、ある国が行った水爆実験によって放射能濃度が高まり、影響を受けたあらゆる生物が突然変異体(ミュータント)と化してしまった不気味な世界だ。生物学者2人が生態調査のためにある島を訪れるのだが、そこには足の生えている果実や、木の枝に寄生している小動物、そして人間を食べて首に似た果実をつける植物がいた……。

我々は植物に支配されている!? 支配されることの恐怖を克明に描く短編

 表題作「メタモルフォセス群島」で表現されているのは、突然変異した植物が作り出す不条理な世界と、植物の圧倒的な生存力と強かさである。「まさか植物が支配する世界なんてあるのか?」と驚く読者もいるかもしれないが、現実に、この社会は植物なしには回らなくなっているほど、植物は繁栄している。野菜、穀物、果実などの食事、豚や牛などの餌、衣服などの繊維、二酸化炭素を酸素に換える光合成などを考えると、どれだけ植物が我々の生活を支えているかわかるだろう。

 もっと言ってしまえば、我々はある面においては植物に行動を支配されているとも表現できる。なぜなら、植物はあらゆる地域に生息域を広げるという願いを、1歩も動かずして実現しているからだ。人間が、あるいは生物たちが果実を食べ、種を別の場所に落としたり、あるいは輸出入で運んだり、栽培をして世話をしてあげたり、またどんぐりなどの魅力的な木の実を集めてみたり……すべて、無意識に植物の繁栄を手助けしてしまっているのだ。

 ただ、これだけ聞いてもいまいち恐怖には繋がらないかもしれない。しかし、この短編は「人間の首に似た果実をつける植物」の本当の意図を描くことで、支配される恐怖を暴き出している。生物学者のうちの1人が「人間の首に似た果実」を持ち帰るシーンがあるのだが、彼はこれが植物の罠だと知りながら、その行動を止めることができない。植物に心まで支配されていることをわかっていながら、従わざるを得ない……。最後のシーンの、論理的にはダメだとわかっていながら、植物の意図に服従しないわけにはいかない恐怖とどうしようもない絶望に、鳥肌が止まらない。

恐ろしくグロテスクなブラックユーモアが過ぎる短編の中にあるギャップに泣く

 本書に含まれる短編は、ほぼすべてブラックユーモアが過ぎる作品だ。途中でにやりと笑えるSF的な展開がありながらも、ズドンと絶望の底に叩き落される苦い毒気の強いオチが漏れなく待っている。表題作の「メタモルフォセス群島」にも、新種の生物や植物に名をつける駄洒落好きな男がいて、ネーミングセンスに笑ってしまう。しかしオチは絶望的だ。「途中のにやりはなんだったのだ!」と裏切られた気分と、感情の激しい揺さぶりに吐きそうになる。それが本書の短編群におおむね通じるところだ。

 ただし、そんなブラックすぎる短編の中にも、ひとつだけ救いとなる温かい話がある。

 関西弁の会話を中心に進む、小さな子どもの母親の捜索を手伝う「母親さがし」だ。6歳の子どもの短いセリフと、彼の言葉をすべて信用して疑わず助けようとする30歳ほど離れた中年の男の優しさが心にしみる。中年の男と小さな子どもの母親が同じ、つまり2人は兄弟、ということに男が早合点してしまってからの絆のようなものが微笑ましい。少年は、彼の勘違いに気づいていながらも「いっしょに居たい」という思いがあるのだろう、特に真実を打ち明けることなく、母親を探してもらうべく2人は街に飛び出していく。恐怖やグロテスクとは無縁の、温かい世界だ。

 しかし、と僕は思う。この温かい話も、実はひとつひとつの短編の中に含まれる「にやり」に近い要素で、絶望と恐怖のオチを谷とすると、これは短編集全体の中における山の部分、つまり恐怖をより引き立てるためにそっと置かれた策略なのではないか? すべては恐怖と絶望を増幅させるための謀だとしたらどうだろうか……! 僕は喜んで筒井康隆の仕掛けた罠にかかり、嬉々として恐怖を倍増させられていたのだ。

 もし筒井康隆の狙い通りだとしたら、彼以上に恐ろしい書き手はいないだろう。

文=奥井雄義

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