ヨシタケシンスケがイラストに込めたメッセージをひもとく。意味や価値を求めすぎる私たちに『メメンとモリ』が教えてくれたこと

文芸・カルチャー

更新日:2023/12/14

メメンとモリ
メメンとモリ』(ヨシタケシンスケ/KADOKAWA)

 何者かになりたい、と人が願うのは、何かすごい人になりたいということではなく、唯一無二の「わたし」になりたいということなんじゃないかと思う。人はいつか必ず死ぬ。それまでに、自分は生きたのだという証を残したいし、価値あるものだったのだと実感したい。でもなかなか思い通りにはいかなくて、これでいいんだろうかと迷いながら生きている「わたし」たちに、「それでいいんだよ」と笑いかけてくれるのがヨシタケシンスケさんの絵本『メメンとモリ』(KADOKAWA)である。メメンという女の子と、それよりちょっと幼いモリという男の子の物語である。

 1編目は、メメンお手製の大事なお皿をモリがうっかり割るところから始まる。謝るモリに、メメンは怒ることなく言う。〈「ずっとそこにある」ってことよりも、「いっしょに何かをした」ってことのほうが大事じゃない?〉。これもそのとおりである。わかっているはずなのに、人はいつしか目の前にある大事なものが、人が、「存在している」ということにばかり固執して、肝心なともに過ごす時間をないがしろにしてしまうのは、なぜなんだろう。

メメンとモリ P14-15

 日常も同じだ。結果だけ見れば、単調な繰り返しにしか見えなくても、その隙間にはたくさんの想いが、試行錯誤が、つまっているはずで、その一つひとつを自分の意志で選択していくことが大事なのだと、メメンとモリに教えられる。〈よごして あらって ちらかして かたづけて〉。単調な日常の繰り返しのあとに、見開きであらわれる、鮮やかな青空と飛ぶ鳥のイラストには、はっとさせられた。そうだ。この、青だ。人生を生きる意味は、きっとここにある。そう思えたのは、言葉だけでなくヨシタケさんの絶妙なイラストのおかげでもあると思う。

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メメンとモリ P30-31

 2編目は、もっと刺さる。少ない雪をかきあつめてふたりがつくったゆきだるまは、とても汚い。しかも小さいから、すぐに溶けてしまう。ゆきだるまは思う。誰も悪くないけど、誰も幸せじゃない。自分っていったい、なんなんだろう、と。

メメンとモリ P66-67

 こういうことって、人生にはけっこう、ある。どんなに頑張っても報われない、期待外れの自分に落ちこんで、存在を無価値に感じてしまうこと。でもだから、優しくなれる。自分が何をしてほしかったのか、どうありたかったのかを想えば、同じように傷ついて、自分の価値を信じられなくなっている人に、手を差し伸べることができるのだと描き、存在まるごとをぎゅっと抱きしめるようなこのお話に、なんだか無性に、泣きたくなった。ゆきだるまが夢想する、そんな優しい世界の情景に広がる美しい夕陽の色も、やっぱり沁みる。

メメンとモリ P76-77

 3編目は、『つまんない つまんない』でいかに何もないところからおもしろがるかを描いたヨシタケさんらしい話。この先の人生、つまんないことばかりだったらどうしよう、と思うと確かに不安にはなるけど、人は「思っていたのと違った!」とびっくりするために生きているのだし、「なんのために生きているのか」の答えは、毎日違っていてもいいのだというメメンの言葉に励まされる人も多いだろう。

 このエピソードの見開きイラストには、行きかう人波のなかで何かにびっくりしている人が描かれているのだが、自分だけがこの世界の流れに乗れなかったとしても、「こんなはずじゃなかった!」と肩透かしをくらったとしても、その瞬間、自分だけが人とは違う色に染まれているのだとしたら、世界に新たな彩りを与えられているってことなんじゃないかな、とそのイラストを見て思う。

メメンとモリ P110-111

 言葉だけでなく、「このテキストにこんなイラスト組み合わせる⁉」という驚きもふくめて、隅々まで発見の多い本作。ふたりの日常を通じて語られる哲学は、大人にこそ読んでほしいものである。

文=立花もも

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https://yomeruba.com/feature/ehon/yoshitake-shinsuke/mementomori.html


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