奇跡の音色と圧倒的実力――世界の音楽家たちを虜にする天才ピアニスト・藤田真央の2年間の軌跡

文芸・カルチャー

公開日:2023/12/6

指先から旅をする
指先から旅をする』(藤田真央/文藝春秋)

 2017年、弱冠18歳で、第27回クララ・ハスキル国際ピアノ・コンクール優勝。2019年、20歳の時に、世界3大ピアノコンクールのひとつ「チャイコフスキー国際コンクール」第2位受賞。国際ピアノコンクールを舞台とした恩田陸氏原作の、映画『蜜蜂と遠雷』では奇才・風間塵役のピアノ演奏を担当していたから、元々クラシックファンではなかったという人も一度はその音色を耳にしたことがあるかもしれない。これほど恍惚とさせられるピアノは聴いたことがない。清らかな音色は聴く者の全細胞をゾクゾクと疼かせる。20カ国100都市でコンサートを行ってきた彼のピアノに、今、世界中が恋をしているのだ。

 そんなクラシック・シーンを更新し続ける藤田氏の2年間の記録が『指先から旅をする』(藤田真央/文藝春秋)だ。ここには、世界のマエストロからラブコールを受け、数々の名門オーケストラとの共演を実現させてきた彼の日々が綴られている。ベルリンに拠点を移して、ヴェルビエ音楽祭、ルツェルン音楽祭といったヨーロッパ最高峰の舞台で活躍する藤田氏は、普段何を思い、どのように音楽と向き合っているのか。この本を読むと、世界を巡る天才の経験を追体験できる。

 音楽の殿堂・NYカーネギーホールのデビュー。欧州音楽祭での、一流アーティストたちとの共演。新解釈で挑んだモーツァルト……。藤田氏と一緒にあらゆるコンサートホールを巡ると、気持ちの高揚を抑えきれない。絶えず舞台上で言葉を交わさずとも行われる、アーティストたちの駆け引きを垣間見られるのは何とも刺激的。巨匠たちと出会い、高みを目指すさまにもクラクラさせられる。

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 特に印象に残るのは、名ピアニスト・ミハイル・プレトニョフ氏とのやりとりだ。プレトニョフ氏は、自身の室内楽コンサートの終演後、ひどく傷付いた顔をしていたのだそうだ。曰く、「自分の目指している音楽と、実際に奏でる音が一致しなくなってきている」と。続けてプレトニョフ氏は藤田氏にこう言った——「きみが弾いたら、もっと良かっただろうね」。憧れのマエストロの思いがけない言葉に藤田氏はたじろぎながらも、「わたしは自分のピアニズムを突き詰めねばならない」と、そう心が奮い立つのを感じたのだと語る。眩しいほどの才能を放つ24歳の青年と巨匠の交流はグッとくる。

 本書には、スカラ座、コンセルトヘボウから、フランスの森のピアノまで、世界各地のコンサートの様子を写した写真も掲載されている。その美しさには思わずため息が漏れる。この環境で藤田氏はどれほど素晴らしい演奏を披露したのだろうか。思わず、そんな想像が膨らんでいく。さらに、藤田氏がピアノ演奏を担当した「蜜蜂と遠雷」の原作者・恩田陸氏との対談も読みごたえがある。自身もディープなクラシックファンである恩田氏は言う。

私、最近の藤田さんの演奏を聴いていると、「﨟たけた」って言葉が浮かぶんです。酸いも甘いも知り尽くして、成熟した先にある音楽とでも言いましょうか。藤田さんは現実に生きている年数は短くても、音楽の中でいろんな人生を歩んでこられたのでしょうね。

 一度でもその演奏を聞いたことがある人ならば、その言葉に多いに頷かされるだろう。そして、驚くべきことに、藤田氏の類稀なる才能は、文章表現にも表れているのだ。ピアノへの思いや自身の経験をこんなにも分かりやすく美しく言語化してしまうことに恐ろしさを感じずにはいられない。それほど、真摯に音楽と向き合い続けているということなのか。なんて誠実で、なんてストイックなのだろうか。この本には、「藤田真央」というピアニストのみずみずしいばかりの才能が溢れ出ている。その世界に触れれば、あなたも、彼の才能に、ますます虜にさせられるに違いない。

文=アサトーミナミ

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