紫式部と同時代、自らを“平凡な女”と称した朝児の執筆への情熱。静かな感動が染み渡る、豪華絢爛な平安絵巻

文芸・カルチャー

PR公開日:2023/11/21

月ぞ流るる
月ぞ流るる』(澤田瞳子/文藝春秋)

 ただ煌びやかなだけ、華やかなだけだったら、平安という時代に、これほどまでに狂おしいほど惹きつけられることはなかっただろう。多くの人が、時代を隔ててもなお平安時代を描いた物語、特に宮中の物語に心揺さぶられるのは、男にしろ、女にしろ、そこに生きる人々に強い矜持を感じるためではないだろうか。栄華の陰にある無数の悲しみ、血生臭さ、怒り。それらを乗り越えて、力強く生き抜こうとする人々の強さに圧倒されずにはいられない。

 そんな時代、特に、平安中期の宮中を描き出すのが『月ぞ流るる』(文藝春秋)だ。この本は、2021年『星落ちて、なお』(文藝春秋)で第165回直木賞を受賞した澤田瞳子氏による最新刊。平安時代といえば、2024年の大河ドラマ「光る君へ」で描かれる『源氏物語』を描いた紫式部が生きた時代というイメージが強いだろうが、ここで描かれるのはそれと同時代を生きた、赤染衛門こと、朝児(あさこ)の姿だ。日本初の女性による女性のための歴史物語『栄花物語』を生み出した彼女は、宮廷で何を見、何を感じたのだろう。目の前で繰り広げられるそれに心を痛めながらも、自分の道を模索する彼女の姿にはすっかり虜にさせられてしまう。

 宮中きっての和歌の名手と言われる朝児は、五十も半ばを過ぎた時、当代一の碩学と言われた夫・大江匡衡を亡くした。夫の菩提を弔いながら余生を過ごそうとしていた彼女だが、ある時、ひょんなことから、東宮の妃が産んだ不義の子、15歳の頼賢の師となる。不遇な人生を歩んできた頼賢に、書物による救済を与えてやりたいと願う朝児だが、頼賢は野犬の如く喧嘩っ早い、気性の荒い少年。頼賢は、15歳の若さで入内して彼の養い親となった原子の不審死に違和感を持ち、当今、三条天皇の皇后・娍子が怪しいとして、「いつか必ず、あの女狐の化けの皮を引っぺがしてやるんだ」と息巻いている。そして、そんな頼賢の仇討ちへの思いと、己の栄華のためなら手段を選ばない藤原道長の思惑によって、朝児は、三条天皇の中宮妍子の女房として再び宮仕えをすることに。宮中では政権を掌握した道長と、あくまで親政を目指す三条天皇との間に緊迫感が漂っていて……。

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 もちろん、この物語には紫式部も藤式部の名で登場する。すっかり老女となった藤式部は、謹厳実直を絵にしたようなもののけじみた人物。長年女房勤めを続け、宮中の酸いも甘いも噛み分けてきた気の強い藤式部と、どこか自信なさげに見える朝児は、同世代だが対照的だ。過去に宮仕えの経験があるとはいえ、朝児は早くに家に入り、3人の子の養育の他、家の切り盛りにかかりきりだったため、世間をよく知らない。歌には自信があれど、朝児は自身のことを「長女の冷淡な態度に落ち込み、息子の不出来に悩む、ただの平凡な女」とさえ評している。そんな朝児は、再びの宮仕えで、否が応でも、華やかな栄華の裏、おどろおどろしい世界を目のあたりにする。人の世の栄えとは、これほどの昏さを伴うものなのか。争いごとを嫌う朝児同様、私たちも、あまりにも恐ろしい世界に思わず息を飲むだろう。

 だが、朝児は怯えているだけでは終わらない。栄華への疑念を抱えた朝児は、いま自身が目にしていることを歴史として書き記すことを思いつくのだ。「世、始まりて後」——『栄花物語』の最初の一節が不意に朝児の胸に落ちてきた場面はなんと美しいことか。ふつふつと熱い油が沸き立つような、執筆へのおさえきれない意欲。朝児の興奮がダイレクトに伝わり、私たちの胸をも確かに揺さぶっていく。それは今の自分に自信が持てずにいる人、他人と比べて自分のことを「平凡」だと感じたことがある人であればあるほど、深く心に染み渡るだろう。

 この物語は、華やかな宮中の裏側を描く歴史物語であり、頼賢の養い親・原子の不審死の謎に迫るミステリーであり、朝児と頼賢の成長譚でもある。それは静かな感動を私たちにくれる。この世とは、親子とは、そして幸せとは。あらゆることを考えさせられながらも実感するのは、いつの世も、人は悩み苦しみながらも、がむしゃらに生きてきたのだということ。執筆への情熱を燃やし始めた朝児のように、新しい何かに挑戦したくなる、平安を生きる人間の生き様に背中を押してくれる1冊だ。

文=アサトーミナミ

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