11対0で勝ったフィリピン戦で大けがした小野伸二の考え。サッカーの天才が「運命」を受け入れる理由

文芸・カルチャー

更新日:2024/2/1

GIFTED
GIFTED』(小野伸二/幻冬舎)

 2023年12月3日に北海道コンサドーレ札幌のプロサッカー選手として引退試合を終えた、小野伸二選手。「元・プロサッカー選手」となる数日前、本記事でご紹介する自伝本『GIFTED』(小野伸二/幻冬舎)が出版されました。タイトルの英語が意味するのは「天賦の才能」です。

 サッカーを始めて早い段階から「天才」と呼ばれてきた著者は、自身の活躍を振り返る上で2つの軸を設定しています。まず、自分の活躍は「人」によって支えられてきたということ。そして、輝かしく見えるキャリアにも「光と影」があるということです。自伝本としてユニークで著者にしか書けないポイントは、「運命を決めた瞬間」がハッキリしているということです。

 劇的な人生を歩んできた人の運命の分かれ道というのは、その人生があまりに劇的であるがゆえに、淡々と書き綴られることによって最も強く読者に響くのかもしれないと筆者は感じました。たとえば、高校選手権予選でPKを失敗して「自分の力不足で他のチームメートの人生も変わってしまった」という悔しさが身体の中に残響のように響いているときに、海外からも国内からもプロチーム入団オファーが来て、最終的に浦和レッズに決めたというひと時。その決め手となったスカウトマンの一言は、このように簡潔に振り返られています。

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僕が「もう、エスパルスに行くと思います」と伝えても、「1%の可能性でいい。それがあるなら検討してほしい。君を見ていたい、見ているのが楽しいから」と声を掛けてくれた。

 メディアでは様々な憶測が飛び交い、金銭的条件が決め手で浦和レッズに決めたと言われることもあったそうです。しかし著者にとってはそれが「運命」だったのだといいます。浦和レッズにとっては劇的な出来事だったことでしょう。しかし、この出来事は本書ではあくまで淡々と描かれています。「天才」と言われない人(いわゆる「凡人」)が、自分の運命の分かれ道を振り返ったり予感したりする助けとなる響きが含まれた文体です。

 もう一つ、著者が「運命」という言葉を使っているエピソードをご紹介します。1999年7月、シドニーオリンピックアジア1次予選突破が既に決まっていて、結果的には11対0だった対フィリピン戦。6対0の状況下、1ゴール3アシストをしていた著者は油断して若干トラップが乱れたときに、相手のスライディングを受けて大ケガを負いました。ファンにとっては「小野が潰された日」「ケガをさせられた」という見え方もしてしまうアクシデントは、このように振り返られています。

「このときのケガがなければ――」と言われることがよくあった。
その後に続く言葉はさまざまだけれど、だいたいどれも「小野伸二はもっとすごかった」という類のものだ。
「ビッグクラブに行けていた」「もっと点を取れていた」「日本史上最高の選手になった」などなど。でも、どの言葉も僕にはピンとこない。
 ケガをしたいとは全く思わないけれど、でも「そういう運命だった」「それだけの男だったんだ」と思っている。

 この「運命感」とでもいうべきものが、本書の読み応えの核になっています。読者の多くは小野伸二のように天才ではないはずです。しかし、「運命」を抱えながら生きているという点では、著者も読者も同列です。運命の分かれ道が克明にあぶり出されているがゆえに、特にサッカーファンや小野ファンでなくても響く内容に本書はなっています。言うまでもなく、ファンの方には必見の一冊です。

文=神保慶政

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