自分の中のバイアスに愕然…『悼む人』『永遠の仔』の天童荒太が送る、正反対刑事コンビのノンストップ・クライムサスペンス

文芸・カルチャー

公開日:2024/1/15

ジェンダー・クライム
ジェンダー・クライム』(天童荒太/文藝春秋)

 ちょっと推理してみてほしい。もし、身元不明の中年男性の全裸死体が発見されたとしたら、そこから考えられることは何だろうか。きっと「全裸」ということに何か深い理由が隠されているに違いない。わざわざ服を脱がされているということは、犯人は被害者の身元を隠し捜査を遅らせるためだろうか……。そんなことを想像するかもしれない。だがもし、若い女性の全裸死体だったとしたら、考えることは違うのではないか。「被害者はレイプされたのではないか」——男性だってレイプされる可能性はあるのに、どうしてすぐに思いつかないのだろう。それは誰にだって「男だから」「女だから」という偏見があるからに違いない。令和になり、ジェンダーに凝り固まった考え方が見直される時代になってきたとはいえ、私たちの脳内はアップデートされないまま。もしかしたらそんな先入観のせいで見過ごされる事実だってあるのかもしれない。

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『悼む人』(文藝春秋)、『永遠の仔』(幻冬舎)などの著者・天童荒太氏の最新作『ジェンダー・クライム』(文藝春秋)は、そんな自分の中にあるバイアスに気付かせてくれる警察小説だ。物語は、八王子南署管内で中年男性の全裸死体が見つかったことに始まる。元々本庁捜査一課にいたが、ある事件をきっかけに所轄に降ろされた刑事・鞍岡は、11歳年下の捜査一課の志波とコンビを組んでその捜査に当たるが、ふたりの相性は最悪。鞍岡はかつて全日本2位に輝いたほどの柔道の名手であり、「警視庁イチの雄ゴリラ」などと評される人物。よくも悪くも昔ながらの刑事といった印象だが、美しい顔立ちで細身の志波は違う。捜査会議はリモートで聞いたからと平気でサボるし、目の前に被疑者が現れた「ここぞ」というタイミングで自ら動こうとしない。しかし、その推理力は抜群。志波の思いがけない発想に、鞍岡は幾度となくハッとさせられる。

 たとえば志波は、被害男性がレイプを受けた可能性があるのではないかと指摘。実際に解剖すると、遺体の肛門には擦過傷があり、その奥には小さなポリ袋の中に文字の書かれた紙が入っていた。鞍岡は恐れに近い不安を感じる。よほどの恨みがなければこんな手の込んだことはしない。おまけに、先入観によって重要な手掛かりを見過ごしそうになっていたのかと思えば、震えが止まらなくなって当然だろう。

 どうやら志波は、ジェンダー的な考えや表現を人一倍嫌う人間であるらしい。被害者の身元が分かり、その妻に話を聞く中で、志波はその話を遮ってまで、鞍岡の言葉の使い方を注意する。被害者の妻を「奥さん」と呼ぶのはどうなのか。女性の配偶者を「ご主人」と呼ぶのは侮蔑ではないか。「女性は、配偶者の奴隷でも使用人でもない。その人の主人は、自分自身ですから」という志波の意見には一理あり、鞍岡は呆気にとられる。それは私たちも同じだろう。捜査を進めていくとこの事件の裏には虐げられてきた女性たちとその家族たちの痛みがあることが明らかになってくる。どうして昔から女性たちは当たり前のように抑圧されてきたのか。そんなことに思いを馳せていると気付かされる。女性が被害を受ける事件が後を絶たない要因のひとつに、言葉があるのではないか。男女対等ではない表現を許容し続けてきた文化が、社会が、女性を虐げる原因を生み出しているのではないか、と。

 この物語は、ジェンダーをめぐる問題を描き出した社会派ミステリーだが、もちろんエンターテインメントとしても面白い。志波はどうしてこんなにも斜に構えているのか、鞍岡はなぜ所轄へ異動になったのか。ふたりの過去が明かされるにつれて、この迷コンビにますます惹きつけられ、捜査から目が離せなくなってしまう。次第に紡がれていく絆には誰もが胸を熱くさせられるだろうし、思いがけない事実が明かされるクライマックスには思わずジーンとさせられるだろう。

 社会派ミステリーとしても、エンターテインメントとしても至高。そして自分の中のバイアスに気付かされるノンストップ・クライムサスペンス。今の時代だからこそ、私たちの心に鋭く突き刺さる物語だ。この強い衝撃にぜひとも打ちのめされてほしい。

文=アサトーミナミ

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