死んだはずの元婚約者から届いた手紙をたどり葛西臨海公園へ。彼女が仕掛ける“ミステリ”に込められたメッセージとは?『彼女が遺したミステリ』

文芸・カルチャー

PR公開日:2024/1/20

彼女が遺したミステリ
彼女が遺したミステリ』(伴田音/双葉文庫)

 大切な人を失った時、人の心にはぽっかりと穴が空く。その穴の深さは、相手への想いの深さと比例する。伴田音氏による恋愛ミステリー小説『彼女が遺したミステリ』(双葉文庫)の主人公・桐山博人は、最愛の婚約者を病で亡くした。婚約者の名前は、保坂一花。一花が亡くなって以降、博人は家に閉じこもり塞ぎ込む日々を送っていた。そんな博人の元に、ある日一通の手紙が届く。

 帽子を目深にかぶった配達員が手渡してきた手紙には、住所が書かれていないばかりか切手さえも貼られていなかった。しかし、それらをいぶかしむ心は、差出人の名前を見た途端に消え去った。手紙には、「保坂一花」の名前があった。一花が亡くなってから、一年と四ヶ月が過ぎていた。手紙には、博人の生活を案ずる内容と共に、以下のメッセージが綴られていた。

“この地球のどこかに、私のメッセージを遺しました。手がかりは色々な場所に置いてあります。さあ、外にでて探してみて。”

 生前の一花は、無類のミステリ好きだった。彼女は己の死期を悟り、婚約者の博人に死後のメッセージを遺したのである。手紙の最後には、こう記されていた。

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“きみなら大丈夫。きっとできる。”

 かくして博人は、「彼女が遺したミステリ」の旅に出る。ミステリ好きなだけあり、一花が仕込んだ謎解きは実に手が込んだものだった。今は亡き彼女の想いを知りたい。そう願う一方で、謎解きの道のりにおいて彼女との思い出を巡ることは、博人にとって苦しい時間でもあった。頭と体と心のすべてを使わねば解けない謎を前にして、博人は幾度となく諦めそうになる。そんな博人を叱咤激励したのは、第二問の謎解きの最中に再会した円谷さんだった。

 円谷さんは、『熱帯魚店 からふる』の店員である。一花の生前、このお店で二人はナンヨウハギを購入した。以降、飼育に必要な餌や消耗品を買いに、散歩がてら店を訪れるのが二人の習慣だった。しかし、一花が亡くなってからはその習慣も途絶えた。外に出ることさえ億劫だった博人は、餌等の購入をネット通販に切り替えていた。久方ぶりに訪れた常連客。円谷さんにとって、博人はその程度の間柄であった。にもかかわらず、円谷さんは生気のない顔をした博人に厳しい一言を投げかける。

“「諦めるんですか?」”

 ストレートな一言に一瞬面食らうも、その後に続く彼女の言葉と真剣さに気圧された博人は、円谷さんの協力を得ながら謎解きを進めていく。ところが、ある日博人は不可解な噂を耳にする。近隣の住民が、「一花を見た」というのだ。一花はすでにこの世にいない。そんなわけはない。そう思っていた矢先、第三問の謎解きの目的地で、博人は思いがけない人物を目にする。一花と同じ髪型、一花と同じ服装、一花にそっくりな女性。「一花」と思わずもらした一言に、同行していた円谷さんも反応した。困惑する二人をよそに、その女性は姿を消した。

 第三問目の謎解きの目的地は、葛西臨海公園。水族館と遊園地が併設されたこの場所で、博人はかつて一花にプロポーズをした。若い二人は、互いの未来に想いを馳せ、幸福の絶頂であったろう。病によって未来を奪われたのは、一花だけではない。博人もまた、“一花と共に歩むはずだった未来”を奪われた。一花がミステリを遺した理由、一花と思わしき人物の正体は、一花が“本当に遺したかったもの”。それらをひもといていく過程は、容易ではない。だからこそ、最後にたどりつくメッセージは、読者の心にも深く食い込む。

 最愛の人を遺して逝く側と、最愛の人を亡くした側。苦しみも悲しみも、どちらも筆舌に尽くし難い。それでも、一花は残された最後の時間を、“愛する人の未来のため”に使った。心が荒れれば生活はすさむ。生活がすさめば心はさらに荒れていく。自分の死後、博人がそうなることを一花は予想していた。だからこそ、手の込んだミステリを何重にも用意して、博人を外の世界に引きずり出したのだ。一花が遺したメッセージは、どこまでも彼女らしく、想い人への愛にあふれていた。

 一花が博人のために用意したメッセージは、今を生きるすべての人へのメッセージでもある。謎解きの文面に必ず添えられていた一言。

“きみなら大丈夫。きっとできる。”

 壁にぶつかり挫けそうになった時には、この言葉をお守りとして歩んでいきたい。博人が、「もう一度」と顔を上げたように。未来が続く限り、命が続く限り、人は人を想いながら生きていける。本書は、私にそう教えてくれた。

文=碧月はる

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