SNSで映画好きから親子連れまで大きな反響 『窓ぎわのトットちゃん』。その先を描く続編を通して黒柳徹子が伝えたかった「戦時中を生きた人々の姿」

文芸・カルチャー

PR公開日:2024/2/2

続 窓ぎわのトットちゃん
続 窓ぎわのトットちゃん』(講談社)

 黒柳徹子が幼少期のことを綴った『窓ぎわのトットちゃん』(講談社)が昨年12月に映画化され、本書を読んだ人はもちろん、黒柳さんのことをよく知らない若い層の間でも話題となっている。映画公開の少し前には、続編となる『続 窓ぎわのトットちゃん』(講談社)も刊行された。黒柳さんは『トットちゃん』を通じて何を伝えたかったのだろうか。

幼いトットの目に映った戦争とは

 落ち着きのない言動で小学校を退学になったトット(黒柳)は、何もかもが自由なトモエ学園に転校する。映画には、「君は、本当はいい子なんだよ」とトットを認めてくれた小林先生との心温まるエピソードや、大好きな友だちとのひと夏の冒険などが描かれている。トットが見た想像の世界にワープするような幻想的な映像が挟まれるのも、夢見心地で素敵だった。

 そのまばゆさとは相反するように、物語の中盤からは暗い戦争の影が忍び寄り、人の着る服や食べるものが質素になり、昨日までいた人がいなくなる様子や、兵士を戦地へ送りだす人たちが日の丸を振る姿が描かれる。多くを語らなくとも、戦争というものがよくわかっていないトットというひとりの子どもの目に映ったものをそのまま映しだすことで、日常をじわじわと支配していく戦争のリアルが克明に表現される。それによって、私たちが経験しているコロナ禍や能登半島地震と同じように、戦争はどこかの国で起こっている夢や幻想ではなく、すぐそばにある現実であり、生活の中に浸透した“日常”であることを思い知らされた。

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 トモエ学園が空襲で焼けるなど、トットは戦争によって大切なものをいくつも失ってしまう。観劇後に脳内を巡ったのは、トットが悲しみの向こう側に見た、キラキラとした子ども時代の思い出や、愛おしい人たちの「ぬくもり」だった。人が愛おしく思う対象は、時代が移り変わっても普遍的なものなのだろう。

 また、本作では、戦争の恐ろしさだけではなく、戦争で傷ついた人たちが、戦争で失ったものから力をもらいながら、自分の人生を貫徹させるために立ち上がる姿が描かれる。戦争の悲惨さだけではなく、戦争の中にあった人たちのひたむきさや強さをとらえたポジティブなメッセージが、若い人たちや映画好きにも受け入れられ、作品に新しい流れが生まれているように思う。

戦争中に思いやりをもって生きた人の姿を世界につなぐ

 本作の続編となる『続 窓ぎわのトットちゃん』(講談社)で、今度はトット自身が、戦禍の悲しみから立ち上がっていく。東京から青森へと疎開したトットは、聡明で頼りがいのある母親に育てられながら、NHK放送のテレビ女優第一号となり、芸能界という場所で才能の花を次々と咲かせていくのだ。

 NHK劇団員になったばかりの頃は、早口で一気に話すようなしゃべり方を先輩から注意され、トモエ学園の小林先生から「君は、本当はいい子なんだよ」と言われた人格まで否定されたような気持ちになったそうだ。ところが、劇作家の飯沢匡さんから「直しちゃ、いけません。そのままでいてください。それがあなたの個性で、それが僕たちに必要なんです」(206ページより引用)と言われ、デビュー作となった『ヤン坊ニン坊トン坊』のキャストに抜擢されたという。あとがきには、「私を理解してくれる人たちに、心からありがとう」と語られているが、小林先生や飯沢匡さんがいなかったら、今の黒柳さんはいなかったかもしれない。

 続編は黒柳さんが戦争で体験したことを伝えるために書かれた本であり、映画の舞台挨拶で黒柳さんは、「戦争中でも思いやりの心を忘れずに生きた人々の姿が世界に届けば、少しでも明るい未来につながると思った」と語っている。壮絶な境遇の中にあっても強く優しく生きた彼らの記録は、作品に触れた人たちの背中を押してくれる。世界が混沌としている今だからこそ、生きていく上で大切なことの本質を問う『トットちゃん』の物語が、多くの人の心に響くのではないだろうか。

文=吉田あき

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