本屋大賞ノミネート作『リカバリー・カバヒコ』。触れると痛みや悩みが回復する!? 公園のカバの遊具を巡る物語

文芸・カルチャー

公開日:2024/2/23

リカバリー・カバヒコ
リカバリー・カバヒコ』(青山美智子/光文社)

 体と心と頭はつながっていて、ときにこんがらがってしまう。行きたくないと思いながら学校や会社に向かう途中でお腹が痛くなったり、耳が詰まったような感覚になったりしたことはないだろうか。私たちは誰もが小さな痛みやしんどさを抱えて生きている。

 十数年前、私は喉に異物が詰まって、飲み込むことも吐き出すこともできず、数日苦しい思いをしたことがある。医者に診てもらったところ、異物は存在せず、ストレスが原因の「梅核気(ばいかくき)」と診断された。梅の種が喉にあるような感じがすることからそう呼ばれるらしいが、存在しないとは思えないほどリアルな異物感に驚いた。

 ほかの人には見えなくても、たしかに自分の中に存在する痛みやしんどさ。もし今、そのせいで前に進めないと感じている人がいるなら、『リカバリー・カバヒコ』(青山美智子/光文社)を読んでほしい。

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 物語の舞台は、新築分譲マンション、アドヴァンス・ヒル。その近くの公園にある古びたカバの遊具・カバヒコには、自分の治したい部分と同じ部分を触ると回復するという都市伝説があった。アドヴァンス・ヒルの住人は公園を訪れて、自分の抱える痛みや悩みをそっとカバヒコに打ち明けていく。

「泰斗の頭」「紗羽の口」「ちはるの耳」「勇哉の足」「和彦の目」の5話から構成される連作短編集で、それぞれの話で主人公は異なるが、すべて読むと全体がつながっているのがわかる。ある話の主人公が、別の話では脇役として登場する、といった具合だ。

 成績不振を受け入れられない男子高校生、ママ友と馴染めない元アパレル店員、ストレスから休職中の女性、駅伝が嫌な小学生、年老いた母との関係がこじれたままの雑誌編集長。年代や性別は違っても、読み進めるうちに「これは私だ」と思える箇所に幾度も出あう。

 カバヒコ、お願い。
 ちゃんと話ができた頃の私に戻して。
 ママ友たちとの関係を、修復して。お願い。お願いします。
(p.86より引用)

 リカバリー(recovery)は、失ったものや損失を回復・復旧・取り戻すことを意味する。しかし、それは以前とまったく同じ状態、すなわち「元通り」になることとは違う。生きていくことは不可逆だ。喉元過ぎても、その経験がなかったことにはならない。

 人間の体はね、回復したあと、前とまったく同じ状態に戻るというわけじゃないんだ。
 病気や怪我をしたっていう、その経験と記憶がつく。体にも心にも頭にもね。回復したあと、前とは違う自分になっているんだよ。
(p.172~173より引用)

 主人公たちは物言わぬカバヒコに向かって自分の本心をぶつけ、その過程で自覚していなかった感情に気づいていく。「これが嫌だ、これさえなければ」というわかりやすい言葉の底に横たわっていたのは、不安や焦り、怖さといった生々しい感情だ。

 ずるい自分や情けない自分も受け入れて、その上で前に進んでいこうとする主人公たちがいとおしくて、ページをめくる手が止まらなかった。経験と記憶が、前とは違う自分を作ってくれる。『リカバリー・カバヒコ』は、回復というよりも、再生の物語だ。

文=ayan

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