『ボクたちはみんな大人になれなかった』の燃え殻氏・最新作。フォロワー5人減を嘆く繊細な立場から綴ったエッセイ集

文芸・カルチャー

公開日:2024/3/23

夢に迷ってタクシーを呼んだ
夢に迷ってタクシーを呼んだ』(新潮文庫)

 絶望的なまでに不器用な人なのだと思う。そして、途轍もない努力家だとも思う。文庫化された燃え殻氏の『夢に迷ってタクシーを呼んだ』(新潮文庫)を読んで氏についてあらためてそう思った。例えば、彼が文筆業を始めた際のエピソード。会社の仲間からは、そんな仕事は無謀だとさんざん馬鹿にされ、「新聞もロクに読んでないくせに」と揶揄されたそうだが、いざやり始めると持ち前の意地で乗り切ってしまう。

 クラスメイトにも教師にも酷いいじめを受け、小さい頃から生きづらくて仕方がなかったという燃え殻氏は、〈一発くらい世間に殴り返したい〉と執筆を開始した際の心境を綴っている。殴り返す手段が、文章を書くことだったのか。それって、彼にとって武器であり、爆弾のようなものじゃないか。

 文章を書き始めるにあたって彼は〈どうすれば本読みじゃない人にまで届くだろうか、自分なりに研究に研究を重ねた〉という。ほら、やっぱり努力家じゃないか。いや、不器用だからこそ努力で補おうと奮起してきたのかもしれない。会社で新規事業の立ち上げに携わった際は、営業先の会社を知るために、その会社のあるビルのコンビニでバイトをした、という逸話も他著に出てくる。

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 本書を通じて〈書けない〉という言葉が果たして何度出てくるだろう? とカウントしたくなるほど書けない、と燃え殻氏は繰り返す。原稿の依頼を断り切れずに引き受けてしまって、あとで猛烈に後悔することもしばしば。〈その場で嫌われたくない、面倒な奴と思われたくないという気持ちがまさって、思わず安請け合いをして〉しまうのだという。

 メディアへの出演なども含め、約束の日が近づくと言い訳を考え始める。承諾と言い訳がセットになっているかのようだ。ギャランティが書かれていなくても、聞きづらいからと仕方なく書き始めてしまう、とも言う。

 だが、書きたいか書きたくないかで言えば、書きたいのだと思う。しかも熱烈に、猛烈に。書き上げた際の爽快感と全能感に関する記述がそれを物語っているからだ。そして、原稿をボツにされた際の酷い落胆のしようもまた然りである。こんな人、書くしかないじゃない?

「朝起きたらツイッターのフォロワーが五人減っていた」と担当編集者に言ったら、「そんなこと気にしているんですか?」と鼻で笑われたという。分かる。すごく分かる。筆者などひとり減っただけで落ち込んでしまうくらいなのだ。だが、単なる小心者の筆者と違うのはその先である。「じゃあ、それを(原稿に)書いてください」と編集者に言われて、実際に書いてしまう、書けてしまう、そこが更にすごい。それって天賦の才じゃないか。

 また、氏は小中学生の頃、友達がおらず、ひとりで壁新聞を黙々と書き続けていたという(毎日更新!)。やはりものづくりの才能があったのだろう。作家、天職なんじゃないか、と、壁新聞のエピソードを読んで身震いした。

 そして、好きな小説に、白石一文の『火口のふたり』と、中島らもの『今夜、すべてのバーで』を挙げているのを読んで腑に落ちた。文体は二枚目のイケメンだけどそこはかとない人間くささがあって、乾いた詩情が行間に滲む両作。拭いようのない苦みや翳りや悲哀が貼り付いているのも共通点だ。そんなふたりの小説と本書は似通っている、なんて言うと、本人は謙遜するだろうか。

 燃え殻氏への激励の手紙のようになってしまった。既にお気付きだろうが、つまり何が言いたいかというと、彼は書き続けるしかない運命にあり、本人も実はそれを望んでいるに違いない、ということ。そして、筆者はそれをこれからも読み続けたい、ということである。

文=土佐有明

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