村上春樹が愛する伝説的デザイナーのレコードジャケット188枚を紹介。目と耳で堪能する村上流ジャズの楽しみ方

文芸・カルチャー

公開日:2024/3/11

デヴィッド・ストーン・マーティンの素晴らしい世界
デヴィッド・ストーン・マーティンの素晴らしい世界』(村上春樹/文藝春秋)

「ジャケ買い」という言葉にどれくらい親しみがありますか? 世代や、レコードや音楽が好きかによって違うでしょう。ご紹介する『デヴィッド・ストーン・マーティンの素晴らしい世界』(村上春樹/文藝春秋)は、大のジャズ・ファンとして知られる村上春樹氏が、ジャズのジャケットを数多くデザインした「DSM」こと、デヴィッド・ストーン・マーティン(以降DSM)に関して語り尽くす一冊です。村上氏をして「DSMのジャケットを手にすると、人生で少しばかり得をした気分になる」というデザインもたっぷり見られる本書は、ジャズ知識やジャケ買い経験などに関係なく読者を引き込んでくれます。

 本書で紹介される村上氏の「個人的所有物」は約180枚にのぼり、そのすべてがオールカラーで紹介されています。180枚というとそれなりの枚数に感じますが、著者は自身をあくまで「ジャズ・ファン」と称し、「コレクター」ではないと前置きしています。

だから少数の例外をのぞいて、一枚のレコードに五千円以上、五十ドル以上のお金は払わないと自分なりのルールを定めている。そうしないとそれはもう趣味とかゲームとかいう範疇のものではなくなってしまうから。とにかく手間と時間をかけて、足を使ってこつこつとレコードを探しまわる、それが僕のレコードコレクションの鉄則だ。

 1913年に生まれ、1992年まで生きたDSMの黄金期は1940~50年代。名プロデューサーのノーマン・グランツと共に手がけた作品群が特に有名です。シンプルな線とカラーリングが特徴で、「crow quill pen」と呼ばれる、かつてはカラス(crow)の羽を使っていた丸ペンで描かれてきたといいます。

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 紹介は「抜けもある」「完璧ではない」と謙遜してはいますが、「バード」ことサックス奏者のチャーリー・パーカーから始まり、村上氏の小説でもよく出てくるスタン・ゲッツ、日本人では秋吉敏子の作品など多方面にわたります。7インチ、10インチ、12インチとレコードのサイズがある中で、10インチ(LPより少し小さい)が一番デザインを見やすい(12インチでは「拡大された感じ」がする)など、著者ならではの洞察をジャケットデザインといっしょに楽しむことができます。

 もちろん、本書を読みながら聴いてみたくなる曲が出てくることは間違いありません。そして村上氏は「この曲は最高だ」「このアルバムを聴いていないとジャズ・ファン失格だ」というような論調は全く展開しません。アーティストたちを人間として見つめ、人生を読み取り、曲にどのようにそれが表れているか(あるいは、いないか)を感じ取る。そんな思考回路の一端を垣間見ることができます。

 筆者が興味をもって実際に聴いてみたのは、村上氏が「歌が上手いとかではなく別格」と評するビリー・ホリデイの『Recital by Billie Holiday』です。著者が愛好しているのが『Golden Years #1 , #2』であること、がっくりと沈み込んだ女性やベッドで泣いている女性の姿(脱ぎ捨てられたコートの形を熊と村上氏は長らく勘違いしていて「熊だったらおもしろかったのに」と思ったというエピソードなども収録)などといったDSM独特のアートワーク、そしてビリー・ホリデイの苦難に満ちた人生の話を絶妙なバランスでブレンドしていきます。

ホリデイはこのアルバムで、かつての彼女の当たり曲「月光のいたずら(What a Little Moonlight Can Do)」を再演しているが、今の声とかつての声の違いに、その変わりように慄然としてしまう。でもだからといって、決してがっかりはしない。ビリー・ホリデイは常にビリー・ホリデイなのだ。

 紹介されている曲やアルバムを村上氏のように「自分の足で」収集するのももちろんいいですが、聴きたいと思ったら紹介されている曲がサッとストリーミングやYouTubeなどで聞けるので、「便利な時代だ」と改めて筆者は感じました。ぜひ読者の皆さんなりのDSMアートワークやジャズの嗜みを、本書から見つけてもらいたいと思います。

文=神保慶政

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