映画版と主人公を変えてドラマ化した『舟を編む』。ドラマ版を楽しむために、原作で描かれた岸辺と馬締を取り巻く物語を再確認!

文芸・カルチャー

公開日:2024/3/29

舟を編む
舟を編む』(三浦しをん/光文社)

 作家・三浦しをんの小説をもとにした映画『舟を編む』が公開されたのは2013年のこと。辞書編集者として言葉の魅力にのめりこんでいく主人公・馬締(まじめ)光也を松田龍平が朴訥とした雰囲気で演じており、好きな仕事にまっすぐ打ち込む人生とはどんなに素敵だろう…と憧れたものだった。

 2月18日から全10回で放送されているテレビドラマ『舟を編む 〜私、辞書つくります〜』(NHK BS・NHK BSプレミアム4K)では、馬締ではなく、新たに辞書編集部に配属される若手編集者の岸辺みどりが主人公になったという。映画版では、当時、新進気鋭の女優として注目されていた黒木華がフレッシュに演じていたことを覚えているが、岸辺はどんな人物だっただろうか。ドラマの放送を受け、気持ちを盛り上げるためにも、未読だった小説を読んでみることにした。

あの凸凹コンビをスタイリッシュな2人がどう演じるのか

 小説のなかで、岸辺みどりは中盤あたりから登場する。辞書編集部に配属される前の岸辺は玄武書房の花形部署であるファッション誌に所属しており、8センチのヒールを履き、エルメスの名刺入れを持っているという描写から、流行に敏感で身なりに気を配る女性であることが伝わってきた。つまり、ボサボサ頭で、辞書をつくることに人生のすべてを捧げる馬締とは正反対のタイプだと言えるだろう。華々しいビジュアルと知的な雰囲気をあわせもつ池田エライザが岸辺役をどう演じるのか、期待が膨らむ。ちなみに、小説では時代の先端を走っていたファッション誌が、ドラマでは廃刊する設定に変わっているようで、小説の刊行から十数年が過ぎ、出版業界も変わったものだとしみじみ思う。

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 岸辺の上司となる馬締の役をドラマで演じるのは、アーティストの野田洋次郎。小説で、辞書編集部に配属されたばかりの馬締はまだ若々しさを感じさせる一面もあったが、岸辺が出会ったときの馬締はもう40代。“変人”ぶりにも磨きがかかっている。「あーうーあーうー」と変なうなり声をあげながら机に突っ伏して寝ていたところに名前を呼ばれ、ふと、うなり声が止まったと思ったら、本と紙の山の中から頬に紙の跡らしき赤い筋を残したままひょっこりと顔を出す…そんな間抜けな馬締と岸辺の出会いが小説には描かれているが、あんなにスタイリッシュでかっこいい野田氏が、岸辺から見たら“ずぼらで野心のないおじさん”でしかない馬締をどう演じるのか、見ものである。

純愛をつらぬく馬締と香具矢の姿を早く観たい!

 楽しみなのは、岸辺が「こんな美人が選んだ相手が、寝癖頭の袖カバー男だなんて」と不公平で理不尽な世の中を恨んだという、美女で板前の馬締の妻・香具矢を、馬締が岸辺に紹介する場面。この時、「俺の配偶者です」と香具矢を紹介する馬締の言葉を岸辺の脳が理解しきれず、たっぷり5秒が経過してから岸辺が「え?」と聞き返すのだが、もう一度「俺の配偶者です」と真面目に繰り返す馬締の言葉を聞いて、香具矢が仏頂面のまま頬を赤らめるのだ。仕事ひとすじだがお互いを思い合う気持ちは強く、出会いから十数年たった今でも少年少女のような純愛を続ける馬締と香具矢の関係が克明に描き出された一幕なので、この場面がそのまま映像化されるかどうかは別として、ピュアすぎる2人の夫婦ぶりをドラマでもまた見てみたい気持ちでいっぱいになっている。

岸辺が辞書編集部に起こす時代の波に期待

(250ページより引用)
「大渡海」は、新しい時代の辞書なんじゃないですか。多数派におもねり、旧弊な思考や感覚にとらわれたままで、日々移ろっていく言葉を、移ろいながらも揺らがぬ言葉の根本の意味を、本当に解釈することができるんですか。

 これは、恋愛的な意味での「愛」という言葉について「異性を慕う気持ち。性欲を伴うこともある。恋」と語釈した馬締に、岸辺が告げたセリフ。岸辺は、“同性愛のひとたちが相手を慕う気持ちは愛ではないのか”と、馬締に詰め寄るのだ。この言葉を受けた馬締は、“自分は同性を愛する人間かもしれないと思った若者が「愛」という言葉を引いたとき、そこに「異性を慕う気持ち」と書いてあったら、どう感じるのか。そういう事態を想像できていなかった”と反省する。

 岸辺が辞書編集部に配属されてから、馬締たちが長年取り組んできた辞書「大渡海(だいとかい)」は、ようやく完成に向けて動き出す。ドラマでも、古参で曲者ぞろいの編集部において、岸辺は新しい時代の波をいくつも起こしていくことだろう。

“言葉は誰かを傷つけるためではなく、誰かを守り、誰かとつながるためにある”というドラマ公式サイトの言葉に心を動かされた。現代は効率主義によって言葉で丁寧に語ることが避けられ、誤解を生むような簡素化された言葉が蔓延しているが、人の心を癒したり安心させたりする言葉はそんなに簡単ではないはずだ。人同士のつながりが希薄になった今だからこそ、もっと繊細に自分の気持ちを伝えられるような言葉が必要なのではないだろうか。本書の中で語られる言葉の奥深さや自由さ、美しさを、もう一度ドラマを通じて味わい、人を守るため、人とつながるための言葉についてあらためて思いを巡らせてみたい。

文=吉田あき

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