理路整然と論破するのはただのインチキ? 『絶望名人カフカの人生論』著者が潰瘍性大腸炎になって気づいた言語化について

文芸・カルチャー

公開日:2024/4/9

口の立つやつが勝つってことでいいのか
口の立つやつが勝つってことでいいのか』(青土社)

 私は口が立つ子供だった。小学校の休み時間はひとりで図書室にこもりきり、棚の端から端までを黙々と読んでいた。だから、「口が立つ」というよりは「語彙が(当時の同級生と比べて)多かった」のだろう。普段は無口なくせに、ディベートの授業では相手チームの女子を泣かすほど攻めた。

 だから、頭木弘樹『口の立つやつが勝つってことでいいのか』(青土社)にギクリとした。本書は『絶望名人カフカの人生論』で知られる文学紹介者による、初のエッセイ集である。序盤、このような記述がある。

advertisement

〈小学生の時、私は口が立つ子供だった。〉

 なんだ! 頭木さんもそうだったんじゃないか! ちょっとだけホッとして読み進める。続きはこうだ。

〈当時もう学校は「暴力はダメ、話し合いで」というふうになっていた。だから、とっくみあいのケンカなんかしていると、先生があいだに割って入って、「手を出しちゃダメ! 口で言いなさい」と両者を分けて、(中略)それぞれの言い分を、ひとりずつちゃんと聞いてくれる。〉

 頭木は「口が立つ」から、「これこれこうで、相手がよくなくて」ということを理路整然と説明できる。しかし相手はうまく説明できない。要領を得ない。「先生は、ははーんという顔をする」。頭木が正しい、相手が悪い、ということになってしまう。

〈私は自分が勝っている方だから、自分のインチキがよくわかっている。口が立てば、自分の方に非があったって、いくらでもうまいこと言いくるめられるのだ。〉

 ううう、インチキ。わかる。とてもよくわかる。相手の欠点やミスを指摘するのは簡単なのだ。けれど、自分の気持ちを言語化するのは難しい。相手が理路整然と語れば、ますます焦ってモゴモゴとしてしまう。

 頭木は大学3年の20歳のときに難病(潰瘍性大腸炎)にかかり、13年間の闘病生活を送る。その間、言語化できない、説明できないことを山ほど経験することになった。〈「説明できないことは、沈黙するしかない」ということも、いやというほどよくわかってしまった。〉痛い。苦しい。だから医師に病状を伝えないといけない。しかしうまくできない。〈それはまるで、詩人や作家のような文学的苦悩だった。「まだ言葉になっていないことを、言葉にしないといけない」のだ。〉

 人は、「言葉にしないとわからない」けれど「言葉にするのは難しい」。言語化できなかった結果、すれ違ってしまったり、距離が遠くなってしまったりする。そういった生きづらさを感じている現代人は多いのではないだろうか。頭木は、やわらかく、しっかりとこちらに伝えてくる。言葉にできなくていい。無理をしなくていい。「口が立つやつが勝つってことでいいのか」と。

文=高松霞

あわせて読みたい