10万部突破 養老孟司氏の集大成的1冊。変化し続ける世界をうまく生き抜く哲学本『ものがわかるということ』

文芸・カルチャー

公開日:2024/4/19

ものがわかるということ"
ものがわかるということ』(養老孟司/祥伝社)

「わかる」と「わからない」の間にある違いはなんだろうか。『ものがわかるということ』(養老孟司/祥伝社)は、そんなことを自然と考えさせられるような一冊である。冒頭はこう始まる。

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若い頃は、勉強すれば、なんでも「わかる」と思っていた。(p.3より引用)

 たしかに、本を読み情報を得ることでわかるようになる、となんとなく思いがちであるが、実際に自分の経験と照らし合わせて考えてみると、そうではないことも多い。無論、知らないのであればわかるはずはないのだが、たとえ「知っている」としても、それは「わかる」こととは同義ではないのだ。

 現在は、大体のことは調べれば情報を得られる時代だ。例えば、日本から8600km離れた北極圏近くにアイスランドという国がある。人口、平均気温、年間降水量、どういった文化があり、何が主食か……といった情報はいくらでも検索でヒットする。現地のことを紹介している動画なんかをチェックすれば、より細かなことを知れるかもしれない。ただ、それだけではアイスランドのことを「わかった」とは到底いえないだろう。

 私のライフワークは「旅」なのだが、これまでは「いろいろな世界を知りたいから旅をする」と考えていた。しかしながら、上記のことを考えると、どうやら違ったらしい。私の場合、自分の感覚で世界を感じ、いろいろな世界を「わかりたい」という欲求が強いのだろう。だからこそ、「自分の足で現地へ行く」という体験を重要視しているのだ。もちろん足を踏み入れても、わかることはほんの少ししかない。だが、一歩を踏み入れるのと、そうでないのでは大きな違いがある、と強く感じている。旅好きは共感してくれるのではないかと思う。

わかった気になってしまう危険性

 なぜ我々はわかった気になってしまうのだろうか。近年、社会全体でその傾向は強くなっているように思う。本書では、「変わらないもの」が増えたことがその要因のひとつとして挙げられている。変わらないものというのは、言葉や記号、情報などだ。

いまや、記号が幅を利かせる世界になりました。記号が支配する社会のことを「情報社会」と言います。記号や情報は動きや変化を止めるのが得意中の得意です。
現実は千変万化して、私たち自身も同じ状態を二度と繰り返さない存在なのに、情報が優先する社会では、不変である記号のほうがリアリティをもち、絶えず変化していく私たちのほうがリアリティを失っていくという現象が起こります。(p.22より引用)

 変化しないものに囲まれて生きていると、自分が変化していることを忘れてしまう。そうなると、変わらない情報を得ることでわかった気になってしまうのだろう。実際にはただ情報として知っているだけなのだけれど。

大事なのは「わからない」を受け入れること

 結論として、わかるとはどういうことか、となるが、本書を読んでもその答えがハッキリと書かれているわけではない。

八十代の半ばを超えて、人生を振り返ってみると、わかろうわかろうとしながら、結局はわからなかった、という結論に至る。(中略)
人生の意味なんか「わからない」ほうがいいので、わからないと気がすまないというのは、気がすまないだけのことで、それなら気を散らせばいい。私は気を散らすために、虫捕りをはじめとして、いろいろなことをする。今日も日向ぼっこをしていたら、虫が一匹、飛んできた。寒い日だったから、なんとも嬉しかった。今日も元気だ、虫がいた。それが生きているということで、それ以上なにが必要だというのか。(p.4~5より引用)

 と前書きにあることからわかるように、「わかること=何か」と表す必要などない、あるいはそんなことは不可能なのである。著者でさえ、わからないのだから。

本書には「わかりたい」人へのヒントも

 ただ、私のように「わかりたい!」と強く感じるタイプはどうすればいいのか……? そんな人のためのヒントも本書には含まれている。最後に少し紹介する。

自然の中に身を置いていると、その自然のルールに、我々の身体の中にもある自然のルールが共鳴をする。すると、いくら頭で考えてもわからないことが、わかってくるのです。
自然がわかる。生物がわかる。その「わかる」の根本は、共鳴だと私は思います。人間同士もそうでしょう。なんだか共鳴する。「どこが好きなんですか」と聞かれても、よくわからない。理屈で人と仲良くなることはできません。(p.201より引用)

 なんとなく「わかる」の輪郭が見えてきたように思う説明だろう。つまり、頭と身体両方でしっかりと感じること、それが最も近道のようだ。

暑い時に冷たい水に触れると、「気持ちいい」という感覚が皮膚を通じて入ってきます。それを感じることが共鳴です。共鳴は身体や感覚で感じるものです。(p.203より引用)

 所詮、言葉や説明だけでは本当の意味での理解はできない。何かを達成した時にしか「達成感」がわかることはないし、何かを失った時にしか「喪失感」がわかることはない。

 キーワードは共鳴。そして、大事なのは「わかる」よりも「わかろうとする」こと、そして「わかった気にならない」こと。その姿勢を忘れずに、今後もさまざまな世界に触れていきたいと思う。

文=岡本大樹

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