『精霊の守り人』『獣の奏者』『鹿の王』の上橋菜穂子、新たな代表作の文庫版が完結! 植物や虫の「香り」を声として聞く孤独な少女の運命を描く壮大ファンタジー

文芸・カルチャー

PR 公開日:2024/12/27

香君1
香君1 西から来た少女』(上橋菜穂子/文藝春秋)

 むせ返るほど馨しい草木の香りを嗅いだ。植物は、物言わぬようで、香りによって、互いの危機を伝え合ったり、会話をしたりしていると聞く。もちろん、私にはその言葉は分からないが、この物語を読んだその日から、どうにかその言葉を理解したいと、この世界のあらゆる香りを意識するようになった。植物、虫、土。すると、これまで気づかなかった世界の姿に気づく。そして、あらゆる香りに囲まれながら、その香りを声のように聞き取ることのできる、少女の豊かさと孤独を思わずにはいられなかった。

 なかなか私を物語の世界から抜け出させてくれなかった小説——それが、上橋菜穂子の最新作『香君』(文藝春秋)だ。上橋菜穂子といえば、『精霊の守り人』『獣の奏者』『鹿の王』などの作品で知られるが、本作は、著者の新たな代表作と言っても過言ではない。そんな物語が文庫化され、『香君4 遥かな道』(文春文庫)でついに完結を迎えたのだ。その発刊にあわせて、是非ともこの世界にどっぷりと浸ってほしい。描かれるのは、植物や虫の生態と「香り」をテーマにした壮大なファンタジー。なんという想像力、描写力なのだろう。目には見えず、聞こえることもない「香り」の世界が、小さな文庫本から、胸の内へと大きく広がっていく。

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 舞台は、多くの国を従わせる大国・ウマール帝国。この帝国は、遥か昔、香りで万象を知る活神、初代・香君が異郷の地からもたらした奇跡の稲・オアレ稲の力によって繁栄してきた。その属国の藩王の孫、15歳の少女アイシャもまた人並外れた嗅覚を持ち、吹く風の中に、植物や昆虫たちが行う香りによるコミュニケーションを「香りの声」のように感じながら生きてきた。祖父の失脚の後、祖国を追われて命を落としかけたアイシャは、藩王国の視察官・マシュウにその能力を見出され、当代・香君、オリエのもとで働くことに。そして、あるとき、害虫などつかぬはずのオアレ稲に、不思議な虫害が発生。この稲に過度に依存していた帝国は、凄まじい食糧危機に見舞われ、盤石だった社会の基盤は一気に揺らぎ始める。アイシャはオリエとともに、帝国の崩壊を食い止めるべく、オアレ稲の謎に挑み、人々を救おうとするのだが……。

 物語を読めば読むほど感じるのは、この世界は人間だけの理屈で成り立っているわけではないということ。人並みはずれた嗅覚を持つアイシャの視点は、声を発することも動くこともないと思っていた植物の賑やかさ、躍動感を教えてくれる。アイシャにかかれば、植物だけではなく、虫の動きも、人間の感情の変化だって、香りで分かる。まるで私たちの感覚まで鮮やかに拡張させられたかのよう。だからこそ、オアレ稲の悲鳴や灰色の雲が音を立てて流れてくるさま、そして、度重なる災いには恐怖で震えた。この世界は人間だけのものではない。せっかく絶妙に成り立っていた自然のバランスが、人間たちの手によって壊れる。ファンタジーとはいえ、それは現実世界にだって大いにあり得ることだろう。上橋菜穂子は、パンデミック後の世界を先取りするかのように、コロナ禍前に、『鹿の王』で未知の疾病を描いた。本作に描かれた食糧難だって、決してありえない話ではないはず。ページをめくるたび、ウマール帝国がすぐ近くになる。

 そんな帝国滅亡の危機に自身の能力によって立ち向かおうとするアイシャと、香君として生きることを強いられてきたオリエの勇ましさといったらない。凄まじいスピードで襲いくる猛威と、帝国・藩国それぞれの思惑、アイシャとオリエの決意。ああ、ファンタジーだというのに、なんと緻密で、なんとリアルなのか。「ファンタジーを読むのは久しぶり」という人ほど、この物語には圧倒されるのではないか。ふたりの少女が選ぶ未来に、私たちの生きる世界と地続きの「香り」の世界に、きっとあなたの心も強く揺さぶられるに違いない。

文=アサトーミナミ

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