愛した女性は幻だったのか? 現役医師が描き出す、恋愛×ミステリーの究極の融合作品

文芸・カルチャー

2017/9/4

『崩れる脳を抱きしめて』(知念実希人/実業之日本社)

 理屈や打算で割り切れたらどんなに楽だろう。溺れていくような感覚。高鳴る鼓動。「出会ってしまったのだ」という確信。あなたは「本当の恋」に落ちたことがあるだろうか。そんな特別な恋に落ちた男女を描いた恋愛小説は数あれど、この小説のように恋愛とミステリーが巧みに融合した作品は未だかつてないだろう。

 現役医師の知念実希人氏の『崩れる脳を抱きしめて』(実業之日本社)は、驚愕と感動の恋愛ミステリー。知念氏といえば『天久鷹央』シリーズや『仮面病棟』『優しい死神の飼い方』などの著作で知られ、日々命と向き合う医師ならではの経験を元とした医療ミステリーを描いてきた。本作では、研修医と余命わずかの患者との恋を描き出す。それだけ聞くと、『セカチュー』や『キミスイ』のような物語をイメージするかもしれない。だが、この物語は恋愛「ミステリー」であり、多くの謎があちらこちらに横たわっているのだ。不可思議な現象と、多くの謎。大どんでん返しの嵐。読者は何回騙されれば良いのだろう。稀代のトリックメーカーだからこそ描けた新しく、そして驚きと感動が詰まった恋愛小説がここにはある。

 主人公である研修医の碓氷は、地域医療の実習として、広島から神奈川にある葉山の岬病院に実習に行くことになった。全個室の富裕層向け療養型病院であるこの病院で出会ったのは、脳腫瘍を患う28歳の女性ユカリ。心に傷を持つふたりは次第に心を通わせていく。だが、実習を終え、広島に戻るとすぐ碓氷の元にユカリの死の知らせが届いた。彼女の死の真相を追い求め葉山の岬病院へと戻った彼は、自分が出会った女性が実際には存在しないと告げられる。いったい何が起こっているのか。愛した女性は幻だったのか。衝撃の展開から目が離せない。

 理想の医療とはどういうものを指すのだろう。葉山の岬病院は入院患者の希望をできるだけ叶え、彼らに残された時間を出来る限り幸せなものにしようとしている。そのなかで死と向き合う患者と彼らを支える医師たちの姿。日々心に葛藤を抱える彼らの様子をリアリティある形で描けるのは、知念氏自身が現役医師という立場だからこそだろう。特に、28歳という若さで死と向き合わねばならないユカリの苦悩は想像を絶する。「この中には爆弾が詰まってるの」。時限爆弾のようにいつかは爆発してしまう脳腫瘍に怯えながら、彼女は静かに暮らしている。

 そんな彼女の担当医師となる碓氷は、当初彼女に良い印象は持てなかった。彼には父親が借金を作って愛人と逃げた過去がある。金で苦労した経験から、富裕層向けの病院で過ごす患者に対する反感が少なからずあった。しかし、ユカリの話を聞くにつれて、次第に彼は彼女の苦しみを理解していく。それに加えてユカリは、碓氷の父親の失踪の不可解な点に気づく。憎み続けていた父親の失踪の真実を目の当たりにした時、碓氷は過去とどう向き合うのだろう。

 この物語は単なる恋愛小説ではない。もちろん余命わずかのユカリとの恋の行方にも胸がぎゅっと締めつけられる。だが、この物語は、碓氷の医師としての成長の物語であり、碓氷家の家族の物語であり、そして、ユカリという一人の女性をめぐるミステリーでもある。それらすべての要素が巧みに絡み合い、今までなかったエンターテイメント小説を生み出している。恋愛小説好きも、ミステリー好きも、楽しめるに違いない作品だ。

文=アサトーミナミ