西加奈子の出世作『さくら』――兄の事故、家庭崩壊…神様からの「打てないボール」に苦しめられた家族の、再生の奇跡

小説・エッセイ

更新日:2017/10/9

『さくら』(西加奈子/小学館)

 西加奈子さんを一躍有名にした出世作『さくら』(西加奈子/小学館)。壊れた家族と愛犬「サクラ」の物語は、今もなお、読み継がれている感動のロングセラーである。

 大学生の「僕」は、とある手紙を見ている。「年末、家に帰ります。おとうさん」。この文章に、「僕」はとてつもなく驚く。父親は、数年もの間、音信不通になっていたからだ。その父親が帰ってくる。……進学と共に一人暮らしをしていた「僕」は、実家に戻った。
それは、「最愛の兄の死」をきっかけに、壊れ、止まっていた家族の時間が再び動き出す、始まりの一歩だった。そのきっかけとなったのは、年老いた愛犬「サクラ」である。

 関西のとある新興住宅で暮らしていた「僕」は、兄と妹、そして両親の5人暮らしだった。母親はちょっとおしゃべりで明るい美人。父親は物静かで温厚で、優しい。2人は心の底から愛し合う素晴らしい夫婦。

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 兄の一(はじめ)は優しくハンサムで背も高く、いつでもクラスの人気者。妹のミキは愛らしい顔とは裏腹に、クールで一匹オオカミタイプ。それでも、どこか人の心の機微に聡いところがあった。そして、愛嬌のある顔で、人間が大好きな犬のサクラ。

「僕」こと「薫」(かおる)を含め、3人兄妹は、恋をしたり、恋に破れたり、恋を隠したりしながら、青春に苦しみ、葛藤しながらも、両親の愛情をいっぱいに受けて成長していた。

 ある日、みんなに愛されていた兄の一が事故に遭い、下半身不随になってしまう。顔の半分も、大きく損なってしまった。あんなにもカッコ良くて、人気者で、頼もしかった兄の変貌に、家族は揺らぐが、それでも、明るく元気に立ち向かおうとした。

 だが、家族の事故という不幸に加えて、さらなる悲劇を、神様は彼らに与える。「神様からの試練」に挑もうとした家族だったが、真っ先に負けてしまったのは、兄自身だった。

 それは一つの平凡な家庭を、粉々に壊すことになった。家族はバラバラになり、父親は音信不通。「僕」は東京の大学へ。そして、数年後。冒頭の「父からの突然帰ります手紙」につながる。

 本作で描かれているのは、「愛」だと思う。それはもちろん、家族の愛である。けれど、それだけではない。本作の「愛」は「神の愛」でもあり、「人間愛」でもあり、または一匹の犬に対するささやかな「愛」でもある。そして読者は、それらの愛が自分自身の周りにも多く存在することに気づくのではないだろうか。たくさんの愛に包まれていたことを、やっと思い知るのだ。

 誰しも、仕事や恋愛、または家族の死なので、「なんでこんなにつらいことばかり起こるんだろう」と沈んでしまう時もあるだろう。だが「私って運が悪い」「神様は意地悪だ」なんて思っているのなら、本作は、その価値観を大きく変えてくれる一冊となるはずだ。

 家族を襲う悲劇と、その再生の物語を、巧みな構成力と斬新で豊かな筆力と、最後に、「僕」が気づいた「神様の投げてきたボールの真実」と共に、ぜひとも、堪能してほしい。

文=雨野裾