ベストセラー『ブッタとシッタカブッタ』著者の小泉吉宏最新作! サムライ豚兵衛が「心のありよう」を学ぶ『ブヒ道』とは?

文芸・カルチャー

更新日:2017/11/11

『ブヒ道』(小泉吉宏/ポプラ社)

 ビギナーズラックという言葉がある。さして技術があるわけでもないのに、無欲で無心でとりくんだら、思いもかけない結果が出た、という経験をしたことのある人は多いだろう。逆に、一生懸命練習したのに、何十時間も勉強したのに、いつもできていたことが本番でなぜかできなくなる。そんな悔しい思いをしたことがある人も少なくないはずだ。何も考えないで、成長はできない。だけど雑念が入れば、失敗する。「心」の安定ってどう保ったらいいんだろう?

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 かわいいブタの4コマで教えてくれるのが、『ブッタとシッタカブッタ』でおなじみ小泉吉宏氏の新刊「武士道」ならぬ『ブヒ道』(ポプラ社)だ。

 主人公は、なまけ者のサムライ・太肥丘豚兵衛(たぴおか・とんべえ)。ヒロインは恋多き町人の乙女・おトン。師匠に叱られながらもゆるゆる修行をつとめる豚兵衛と、好きな人のことしか目に入らず迷走を続けるおトンが、我欲を周囲にいさめられながら、心のありようと世の中の真理にふれていく本作。

 タイトルからもわかるように、新渡戸稲造が著した『武士道』についてもふれているが、根幹を支えているのは、安土桃山時代から江戸時代初期を生きた臨済宗の僧・沢庵の教え。吉川英治『宮本武蔵』に、武蔵の心の師匠として出てくることでも有名だが(だがこれは創作とのこと)、本作で参考にしているのは、徳川将軍家の兵法指南役に贈ったとされる『不動智神妙録』だ。心技体のバランスをいかに保つか、武士たちに伝授するための書物である。

 ふだん私たちは、お箸をどうやって使おうか、なんて改めて考えない。歩き方も、呼吸の仕方も、気づけばいつのまにかできている。そんなふうに何をするにも、無意識の自然体でできれば、失敗なんてなくなるのだろうが、そうはいかないのが人間というもの。

無知は心がはたらかないので、表面に何も表れない。
深いところに達した智恵もまた表に出ることはない。

 と作中で著者は記しているが、「知らないからどうにもならない」のと「悟っているからちょっとやそっとじゃ動じない」ではまるで違う。多くのことを学び、知り、会得した先でたどりつける場所こそが、心の安定と成長をもたらしてくれるのだ。

 だからといって、厳しい修行をしさえすればいいのかというとそれも違う。

修行を始めたばかりのときは心を常に引きしめるとよい。
だがいつまでもそう心がけるのが精一杯では名人の域に達することはできない。
心を縛らずとも飼い馴らせるようになったらどこへなりとも放り出そうではないか。

 とあるように、がんばる気合が入りすぎていると、それはそれで余裕がなくなる。余裕がない人は周囲に波風をたてかねないし、驕りや慢心も芽生えやすい。めざすのはさらにその先。焦らずとも、自分の道を進めばいいと自然に思うことのできる、自意識からの解放だ。人の目を気にせず、無理をせず、あたりまえに謙虚な努力を重ねられるその先にこそ、穏やかな道は見えてくる。

 とはいえ、武士でさえ苦心したその場所に、現代を生きる一般人がそう簡単にたどりつけるはずもない。だからまずは本書を読んで、豚兵衛と一緒に深淵の入り口をほんの少し覗いてみてはどうだろうか。ふさがっていた視界が少しひらけて気持ちが楽になるかもしれない。

文=立花もも