その人間関係って本当に必要ですか?――“世界が尊敬する日本人100人”に選出された禅僧から学ぶ人付き合いの極意

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公開日:2017/11/7

『近すぎず、遠すぎず。他人に振り回されない人付き合いの極意』

 ツイッター、ライン、インスタグラムなどでも、いい人に限って、「嫌われたくない」「否定されたくない」という思いから、自分の意見を曲げてでも相手に合わせてしまいがち。その結果、人間関係は窮屈になり、ストレスによって社会生活が不快なものになってしまうという悪循環におちいってしまうことも。そんなケースでの処方箋はただ一つ、「迎合しない」ことしかありません。

 禅の思想と日本の伝統文化に根ざした「禅の庭」の創作活動によって、「世界が尊敬する日本人100人」に選出された枡野俊明氏は「【友人が多い、人脈が広い=いいこと】は刷り込みである」と語ります。

偽りは自分を苦しめる

 京都大学で教鞭をとっておられた哲学者・仏教学者で、禅についてとても造詣の深かった故・久松真一さんは、「禅の美」を七つに分けました。「禅の美」のそれぞれについては、私の新しい著作『近すぎず、遠すぎず。 他人に振り回されない人付き合いの極意』でも触れていますが、その一つに「枯高(ここう)」があります。この言葉は「枯れ長けて強い」を意味しており、わかりやすくいうならば、老いた松のイメージです。

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 かつてはあざやかな緑をしげらせていた松も、老いることによって風雪にさらされ、朽ちていく枝もあるでしょう。しかし、その姿には、若い松には感じられない厳とした存在感があります。

 老松のその風情こそが「枯高」であり、禅の美です。「枯高」とは、枯れ長けた強さに宿る美しさであり、悟りの先にあるものといってもいいでしょう。

 禅の美である「枯高」を人間関係にあてはめるなら、「気高くあれ」ということになります。偽りの姿をさらさず、つねに自分自身であることにより、人は確たる存在感を放つことができるのです。

 人間関係でつまずいた経験があると、誰しも人と接するときに、多かれ少なかれ恐怖心を抱いてしまうものです。その結果、嫌われたくない、否定されたくないという思いから、他人と意見の相違があっても言い出せなかったり、納得していないのに肯定したりと、自分に対して無理をするようになります。そんなことを続けていれば、人間関係はどんどん窮屈になり、ストレス過多によって社会生活が不快になってしまうことでしょう。

 そうなることを避けるためには、どうすればいいのでしょうか。答えは、迎合しないことです。もちろん、相手と同じ意見であるのなら、素直に賛同すればいい。しかし、ほんとうは違う考えをもっているのにもかかわらず、相手の機嫌を取るために褒めたり、傷つけたつもりもないのに謝ったりすると、あとあと自分を苦しめることになります。

異なる意見を表明することで信頼を得る

 会社、学校、地域のコミュニティなど、何らかのグループに所属していると、八方美人、イエスマン、ご機嫌取りをする人がいて、人間関係を上手に築いているように見えるかもしれません。しかし、そうした人たちは、決して信頼されることはないのです。

 迎合しても、最終的に自分にいいことは何一つありません。相手に合わせようとして、不本意な言葉を発しそうになったら、いま一度、考えてみてください。相手に併せて自分を押し殺している状態を相手が望んでいるのであれば、そのような相手は、そもそもあなたにとって人間関係を結ぶべき人でしょうか。

 また、相手があなたにとって、ほんとうに必要な人であれば、自分が偽りの姿で接していることに、あなた自身が後ろめたさを覚えるのではないでしょうか。迎合で相手に都合のいい存在になること、あるいは逆に、そんな存在にさせることが、人間関係を心地よいものにすることはありません。

 迎合しないで、自分の意見に反対する人を疎ましく思う人もいるでしょう。短絡的に怒りをぶつけてくる人もいるかもしれません。しかし、安易に迎合しないことによって、信用できる人物という評価を得ることはできます。

 人間関係でいちばん大切なのは信頼です。迎合しないで疎ましく思われたり、怒りを買ったりしても、信頼が得られたらそれでいい。そのようにシンプルに考えましょう。お互いに信頼できるのであれば、たとえ意見の相違はあるとしても、それは窮屈ではない、心地よい人間関係といえるのです。

人脈はむやみに広げない

 会社などの組織の場合は、組織の主流の意見に迎合しないと、個人対個人のケースよりも大きな不安を感じるかもしれません。しかし、迎合しないことと、相手を否定することはイコールではありません。人の価値観は多様ですから、ぶつかり合うのは必然なのです。相手の認めるべきところは認め、しかし、自分を貫く。それが迎合しないということです。

 もちろん、会社組織は上意下達で動きますから、決められた方向性には従わなくてはいけません。意見が異なるならはっきりと表明するが、組織で決まったことに対しては全力を傾ける。組織に所属している限り、それこそが協調性のある姿といえるでしょう。その協調性を発揮するとき、周囲はあなたに、威厳、気高さ、確たる存在感を感じるはずです。

 人は迎合しないことで、心地よい人間関係を築くことができます。迎合を強いる、強いられる相手が、人間関係を結ぶべき人ではないことも、前に述べたとおりです。このことを別の視点でとらえるなら、人脈をむやみに広げないことが、心地よい人間関係を築く良策ということになります。

 友人が多い、人脈が広いといった人は、一般的に、多くの人から慕われる人格者と思われる傾向があります。たしかに、友人が多く、人脈が広い人は、周囲を惹きつける魅力があるのでしょう。しかし、逆に友人が少なく、広い人脈をもっていない人は、人格者ではなく、人間的な魅力もないのでしょうか。私はそうは思いません。

自分の許容範囲、器をきちんと把握する

 友人が多いのはよいことと刷り込まれてはいないでしょうか。友人が多い人=すばらしい人物ではないのです。自分を取り繕うことなく、ありのままの自分で人間関係を築き、結果として友人が多いのであれば、それは文句なくすばらしい。しかし、偽りの自分を演じ、迎合を重ねた結果として友人が多いのであれば、その人間関係に大きな価値はありません。

 私は、むやみに友人をつくる必要はない、人脈は広げればいいものではないと考えています。何か困ったことが起きたとき、手を差し伸べてくれる人は、どれだけ人脈が広くても限られているのです。ほんとうに心からあなたを心配して助けてくれる人は、どれほどいるでしょうか。数人いれば、それはすばらしいことですし、そうした人間関係こそが大切にすべきものなのです。

 コミュニケーションという言葉は、もともとはラテン語の“communicatio”、すなわち「分かち合うこと」に由来しているそうです。あなたにうれしい出来事があって、その気持ちを分かち合いとき、あるいは、悔しくつらい経験をして、その思いを分かち合いたいとき、思い浮かぶのは誰でしょう。「分かち合う」ことを実践しようとするなら、おのずと人数は限られてくるのです。

 友人はいらない、人脈は必要ないとお伝えしているわけではありません。自分の許容範囲を知る、器をきちんと把握することが大切なのです。あるがままの自分で、あるがままの相手と、自然に結びつくということでいいではありませんか。

・著者プロフィール
枡野 俊明 (ますの しゅんみょう)

1953年、神奈川県生まれ。大学卒業後、大本山總持寺で修行。禅の思想と日本の伝統文化に根ざした「禅の庭」の創作活動を行い、国内外から高い評価を得る。芸術選奨文部大臣(当時)新人賞を庭園デザイナーとして初受賞。ドイツ連邦共和国功労勲章功労十字小綬章を受賞。2006年、「ニューズウィーク」誌日本版にて「世界が尊敬する日本人100人」に選出される。庭園デザイナーとしての主な作品は、カナダ大使館庭園、セルリアンタワー東急ホテル庭園『閑坐庭』、ベルリン日本庭園『融水苑』(ドイツ)、ベルゲン大学新校舎庭園『静寂の庭』(ノルウェー)、カナダ国立文明博物館日本庭園『和敬の庭』(カナダ)など、国内外に多数。曹洞宗徳雄山建功寺住職、多摩美術大学環境デザイン学科教授。著書に『スター・ウォーズ 禅の教え』『近すぎず、遠すぎず。 他人に振り回されない人付き合いの極意』(KADOKAWA)、『禅シンプル生活のすすめ』(三笠書房)などがある。