精神を蝕まれた科学者が仕掛けた、謎の細菌「キング」による世界の改革。人類が選択するのは、団結の道か、破滅への道か……!?

文芸・カルチャー

2017/12/16

『破滅の王』(上田早夕里/双葉社)

 第二次世界大戦下を舞台にした小説は様々にある。以前なら、その痛ましさにゾクッとさせられたとしても、「過去の話だ」と思い直すと同時に、今日の平和がつくづく尊く思えた。しかし今はどうだろう。国際情勢の不安定化や憲法改正の流れを見るにつけ、「再びこんな日が来るのでは?」と、小説の世界も他人事とは思えないものがある。

 しかもテーマが「細菌兵器」であれば、“非道上等”にならざるを得ない戦時下の人々の狂気のうごめきが、より恐ろしさを増して読者に襲い掛かってくる。

『破滅の王』(上田早夕里/双葉社)は、大戦前夜の1930年代末期から終戦となる40年代半ばまでの約9年間を時代背景にしながら、満州と上海の租界地区や、かつて彼の地に実在した上海自然科学研究所を舞台に、ある日本人科学者が産み出した新種の「細菌兵器」をめぐる歴史大作である。

■純粋な科学者の精神を蝕んだ戦争の狂気

 本書には、帝国陸軍軍医中将石井四郎が登場することから、関東軍防疫給水部本部で暗躍した人物たちがモデルであることは明白だ。同部隊は満州の研究所で、捕虜を「マルタ」(要するに木の棒)と呼び、人体実験を繰り返しながら生物兵器の研究を行っていたとされ、本書にもそうした呼称やシーンが登場する。

倫理なき行為が平然と正当化される戦時下の異常さは、人の精神を蝕む。純粋な人であればあるほど、蝕まれた精神の隙間に巣くうのは、破滅的な狂気なのだ。

本書のタイトルにある「王」とは、キングと名付けられた、治療・対処法がまだない特殊な細菌だ。開発に成功した科学者・真須木一郎の侵蝕された精神は、もはや限界だった。
(前略)僕は帝大まで卒業した優秀な研究者だったはずなのに、いつのまにか、ただの人殺しになっている。こんなことってあるかい。僕が医学を勉強したのは人を救うためだ。(後略)
こう親友の医師に吐露した真須木はある決断をする。それは、自分しか全貌を知らない「キング」を散布する計画によって、世界を破滅へ追い込むことだ。人類が助かる唯一の方法、それは真須木が記した論文全編を通読し、一刻も早く治療薬を開発するしかない。しかし真須木は論文をわざと分断し、英・仏・独・米・日などそれぞれの国にパート別に送っていた。キングの治療薬開発には、敵対する国々が協力して情報を提供し合い一致団結するしかない。

これが真須木の目的であり、人類に戦争の愚かさを考え直させるために与えた最後の機会だった。

■世界大戦という時代に翻弄された人々の群像劇

 本書の物語構成は、失踪した真須木の行方やキングに関与して殺害された人物の謎を追いつつ、キングの全容解明へと奮闘する、国を超えた人々が織りなす群像劇である。

 中心的に描かれるのは、失われつつある人間性をなんとか繋ぎ止め、国策に反してでも、人の道を生きようと苦悩する科学者、医師、特殊任務を負った軍人たちだ。

 正義を貫くことが拷問や処刑にさえ直結する時代をかいくぐりながら、人種のるつぼである上海を舞台に、日本人、中国人、ドイツ人諜報員などがキングの秘密を求めて交錯する。

 果たして敵対する人類は協力し合えるのか? それともそれぞれのエゴを満たす戦いに終始して破滅への道を歩むのか? ひとりの科学者が投げかけた究極の選択を世界が迫られるなか、ついに河南省で、真須木が仕掛けたキングの第一弾散布が開始された──。

 本書は、キングの謎解きや、重要な手掛かりを握る科学者を殺した者を捜す物語としての面白さがある一方で、当時の史実が垣間見られる、歴史ドキュメンタリー的な緊迫感にも満ちている。

 なぜ現代においてでさえ、隣国は大戦下の日本の行為を咎め続けるのか、埋めることの難しい溝の一端をも、本書は教えてくれるのだ。

文=町田光