危ないのは北朝鮮と日本、どっち? 新年の抱負は「平和」でも大げさではない――

社会

2018/1/12

『核兵器と原発 日本が抱える「核」のジレンマ(談社現代新書)』(鈴木達治郎/講談社)

 目の前を霊柩車が通ろうとしている。咄嗟に「親の死に目に会えなくなるかも…」と親指を隠す日本人は少なくないはずだ。隠さないと本当にそうなるのか、根拠はない。しかし、言い伝えというのは妙に人の心に響き、なぜだか信じてしまう不思議な力がある。

 では、北朝鮮から核ミサイルが放たれたという知らせを聞いたらどうだろうか。それが想定外にしても、想定内にしても、「アメリカの兵力が私たちを守ってくれる」という、いつの間にか日本人に根付いた信心ともいえるイメージは、本当に実現するのだろうか。そして、実現したらその後の世界情勢はどうなるのだろうか。

『核兵器と原発 日本が抱える「核」のジレンマ(談社現代新書)』(鈴木達治郎/講談社)は、双方が核兵器を持っていれば核戦争は起こらないとする「核抑止」や、米国の保有する核兵器により安全保障がなされるという「核の傘」に対する依存を断ち切り、世界平和への長い道のりを歩きだす術を私たちに教えてくれる。著者は、2010年1月より2014年3月まで内閣府原子力委員会委員長代理を務めた人物であり、福島原発事故をその立場で経験した。

「核の傘」や「核抑止」というのは、しょせん「信じるか否か」という「戦略上の理論」であり、実体はない。「核抑止」が過去効いてきたかどうかの実証をすることも難しいし、今後必ず抑止力が働くという保証はもちろんできない。

 原子力や核をめぐる諸問題は、人の心の弱さにつけこむ。おそらく安全だと思われていたことが、差し迫った危機に突如変わる日が本当に来る。それが福島原発事故の教訓だった。

 分かってはいるけれども、楽な方に流れてしまう。そういったことは一個人にも起こりうる。しかし、そこに国家が関わっているとなおさら一筋縄ではいかない。月日が経ち薄まっていく危機意識は、霊柩車の言い伝えのように親指を隠してどうにかなるような事柄ではない。

 本書でも言及されている、フィンランドの地中奥深くにある放射性物質最終処分場・オンカロでは、十万年後の人類(あるいは人類が滅亡した後の何かしらの知的生命体)に向けて「危ないから近寄らないで」というメッセージが象形文字や絵などを用いて発されているという。十万年というのは、使用済み核燃料に含まれるプルトニウムが、生物にとって安全なレベルまで下がる期間だ。十万年後の未来を、日々のスケジュールとともに考えることは、一般人にそうそうできることではない。

 こうした困難に、私たちはどのように抗えばいいのか。著者はその難しさを承知の上で、キューバ危機を契機に中南米で実現した非核兵器地帯条約を例に挙げながら、北東アジアで同様の枠組みを構築する理想を書中で語っている。

この構想は、すぐに実現するようなものではないし、実現に向けての課題は多い。しかし何よりも大切なのは、どの非核兵器地帯も、当初は実現が不可能なような状況から交渉を始めている、ということである。

 私たち個人から始められることは何なのか。それが本書に書かれている。新年の抱負として、本書の掲げる平和を示してみてはいかがだろうか。

文=神保慶政