「人に受け入れてもらえない絶望」「夫婦であることが呪わしい絶望」……様々な絶望を抱くあなたの心に寄り添う「絶望」のアンソロジー

文芸・カルチャー

公開日:2018/1/15

『絶望図書館 立ち直れそうもないとき、心に寄り添ってくれる12の物語(ちくま文庫)』(頭木弘樹:編/筑摩書房)

 大好きだったはずの、ヒーローが活躍して敵を倒す少年マンガや、王子様のような男性と恋に落ちる少女マンガが、以前より面白く感じない。「キラキラしたハッピーエンド」を、どうも心が受け付けなくなっている。

 ……そんなあなたは、少し疲れているのかもしれません。そういう時は、輝くような物語ではなく、同じような苦しみを持つ――むしろ、もっと深刻な状況にいる――人々の物語によって、自分の暗鬱とした心が共感できるお話が必要なのです。

『絶望図書館 立ち直れそうもないとき、心に寄り添ってくれる12の物語(ちくま文庫)』(頭木弘樹:編/筑摩書房)は、「絶望した気持ちに寄り添ってくれる」物語を集めたアンソロジーだ。

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 編者は『絶望読書』(飛鳥新社)で「絶望を感じさせる読書はなぜ必要なのか?」について書かれている頭木弘樹さん(『絶望読書』のレビュー。こちらを読んでいただくと「絶望のお話を絶望的な状況で求める理由」が、より分かってもらえるかと思います)。

 本書は「絶望の種類別」(変な日本語だが)によって物語がジャンル分けされているので、自分が求めている絶望のお話を見つけることができる。

「人に受け入れてもらえない絶望」には、児童文学『おとうさんがいっぱい』(三田村信行)。「どう頑張っても話が通じない人がいるという絶望」には『最悪の接触(ワースト・コンタクト)』(筒井康隆)、「恨みの晴らしようがないという絶望」には韓国文学『虫の話』(李清俊)。「夫婦であることが呪わしいという絶望」にはアメリカ文学『すてきな他人(ひと)』(シャーリィ・ジャクスン)、「居場所がどこにもないという絶望」にはマンガの「ハッスルピノコ(『ブラック・ジャック』)」(手塚治虫)。

 ……などなど、国を問わず年代を問わず、様々な物語が収められている。

「絶望に寄り添う物語」とは、ハッピーエンドの「癒される」お話というわけではなく、必ずしもバッドエンドということでもない。主人公の目的が達成され、笑顔で終わるものもある。しかし中には、どうしようもない絶望感に、主人公が愕然としたり、スッキリしない結末もあったりする。

 それでも私は、どの作品も「心地よい」と感じた。

 どうして絶望のお話はこんなにも心に響くのだろうか? その答えは前述の『絶望読書』に詳細が書かれているのだが、今回本書を読み、私はまた違う理由もあるのではないかと感じた。

 物語の中で描かれる「絶望」によって、人は「絶望の正体」を暴くことができるのではないだろうか。本書に編集されているお話の多くは、「絶望のカタチ」を誇張している(突如お父さんが増えたり、価値観の全く違う異星人と一つ屋根の下で暮らしたり……)。

 現実ではあり得ない大袈裟な設定を持ち出すことで、私たちが漠然と抱いている不安や、恐れ、苦しみの輪郭を明確にしてくれているのだ。

 正体の分からないものは、一層怖く感じる。けれど正体が分かれば、案外、慌てずに受け流せたりできる。原因が分かって問題を解決することもできるかもしれない。

 なんとなく最近、会社に行きたくなくて悩んでいる人は、本書の「おとうさんがいっぱい」を読んで、自分が職場に必要とされていない、「自分の替わりはいくらでもいる」ということが苦痛だったのだと気づくかもしれない。

 絶望のお話は、自分でも気づいていない心のモヤモヤや「くすぶり」を浮き彫りにしてくれる。そういった一面もあるから、私は絶望のお話に惹かれるのだと思う。

 また、本書がきっかけとなり、好きな作家が見つかることもあるだろう。アンソロジーにはそういった面白みもあるので、馴染みのない方にもおススメしたい。

 奇妙だったり、ちょっとヒヤッとしたり、悲しくなったり、孤独を感じたりするかもしれないけれど、その「絶望」は、読者の心を苦しめるのではなく、どこか安心感をもたらす。そういう、「心地よい絶望」が、本書には詰まっていた。

文=雨野裾