日本史の真の“主役”藤原氏が「権力」のカタチを作った? 日本史の理解が深まる!

文芸・カルチャー

公開日:2018/3/16

『藤原氏――権力中枢の一族』(倉本一宏/中央公論新社)

 いくら日本史に興味がない人でも「藤原」という一族を知らない方はいないだろう。藤原氏とは、古代より天皇に仕えてきた貴族である。教科書でよく耳にする彼ら「藤原氏」は、織田信長や新撰組のように「人気のある」部類には入らないかもしれないが、実は、日本史における真の主役であり、「スゴイ」一族なのだ。

『藤原氏――権力中枢の一族』(倉本一宏/中央公論新社)いわく、藤原氏がいかにして権力をつかみ、形を変えながら維持してきたのか。その様相の中に「日本という国家の権力や政治、そして社会や文化の構造を解明する手がかりがある」という。

日本型の王権や権力中枢の問題、政治システムや政治意思決定、官僚制の問題、氏や家といった社会構造の問題、日本文化の問題、そして何より、天皇と臣下の関わりなどである。
天皇という君主が武家政権成立後も日本に存在し続けたという歴史事実の謎を解く鍵が、藤原氏の皇位継承構想や政権戦略の中に隠されている。

 つまり、藤原氏を詳しく知ることで、「日本の権力システム」をより深く理解することができるのである。

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■日本史上長らく為政者の地位に座った「藤原氏」の出世力とは

 例えば、歴史の教科書でもおなじみ「外戚」(がいせき)という言葉。自分の娘を天皇に嫁がせ、その子どもが次の天皇となった際、外祖父として権力を行使することだが、つまりは「権力者のミウチ」となり、権力を握ることだ。
 この権力システムは古代より存在したが、より堅固にしたのは、藤原不比等(ふじわら・ふひと)である。私はこの名前になじみを持てなくて(「不」というネガティブな言葉が入っており、変な名前だと思っていて)、あまり好きではなかったのだが、藤原氏2代目の彼は、一族の中でも特にスゴイ人。天皇との姻戚関係による「ミウチ化」によって権力を握った、藤原氏の第一人者なのだ。ちなみに不比等の名前の意味は「等しく比べるもののないという最高の名前」だそう。

 また、彼は律令制定の主体者でもある。律令とはざっくり言うと法や行政などルールのことであり、不比等は、「天皇とミウチになることで権力を得る」&「国家として、しっかりとしたルールを作る」という、その後の権力者に引き継がれる2大システムを確立した人物そのものなのである。
 天皇家が武家政権成立後もその制度を存続していたのは、不比等のこの「親族システム」が、時の権力者たちに採用された結果とも言えるのではないだろうか。「滅ぼす」よりも「利用」する方が時にはたやすいのである。

■オモテの歴史には描かれない「女性の存在感」があぶり出される

 また少し視点を変えてみて、日本史における「女性の役割」についても本書から窺い知ることができた。直接的に書かれているわけではないのだが、この親族システムは案外女性に対しても影響力があったようだ。
 不比等が主体となってカタチ作った政治体制は「天皇の専制」ではなく、太上天皇(前天皇)、現天皇の生母、近親者(生母の父=藤原氏)による「共同政治」であった。為政者グループの中に女性が入っており、時代や個人の性格、立場にもよると思うが、女性は全く力がなく男性の言いなりだったというわけではないようなのだ。

 本書を読んでいると、藤原氏が「権力を握り続けるため」に繰り広げた権謀術数を知るとともに、その権力抗争に果敢に加わり、時には「天皇の生母である」「天皇に寵愛されている」などの理由から、大いに政治権力をつかむ女性の強かさも垣間見えた。

 本書は藤原氏の祖・鎌足から、武家政権成立までの藤原氏を詳細に追っている。やや内容が専門的に感じる部分もあるかもしれないが、戦国時代や幕末などを中心とした「歴史好き」が知らないような「発見」があり、より日本史の理解を深めることができるのではないだろうか。

文=雨野裾