久生十蘭、三島由紀夫…夭折の美人版画家が残した30作! 命をかけた超絶技巧を目撃せよ

文芸・カルチャー

公開日:2018/4/8

『銅版画家 清原啓子作品集 増補新版』(八王子市夢美術館:監修/阿部出版)

 好きな小説や詩を読んで、なにやらイメージが浮かんでくることがある。文章の描写そのままの写実的な風景や人物が脳裏に浮かぶこともあれば、脈絡のない抽象的な形や色が生まれてきて、しばらくその中で遊ぶことも…。そんな時間は著者と心が繋がったような、読書人にとって至福の時なのかもしれない。

 たとえそれが著者の描いた像とは異なっていたとしても、いやまったく同じということはありえないのだろうが、しかしそこには確かに書物とそれを受け止めた人との間にしかないコミュニケーションが存在する。

 普通はそんな交流は心の中でひととききらめいて消える、儚いものだ。しかしごくごく一部の、選ばれしものが形に残ることもある。『銅版画家 清原啓子作品集 増補新版』(八王子市夢美術館:監修/阿部出版)。

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 超絶技巧と称えられ同業者にもその技法が解析できなかったという逸話がある、夭折の麗しき銅版画家。彼女の残した全作品に加え素描や未完成作品、制作ノートなども収めたい人生を凝縮した1冊だが、特筆すべきはその作品の多くが久生十蘭、三島由紀夫など敬愛する作家・作品へのオマージュあり、美しくも妖しい交歓の記録となっていることだ。

 まずはページをめくってみて欲しい。生涯を通じて30点ほどの作品しか残さなかったにもかかわらず、彼女が死後もなお注目される理由が一目で了解できるはずだ。

■本好きにこそ手にとって欲しいモノクロの迷宮

 ボードレールは「造形美術のさまざまな表現のうちでもエッチング(銅版画の技法)はもっとも文学表現に近接する」と言ったが、そもそも銅版画は非常に手のかかるものだ。

 銅板にニードルで絵を描くので、版画にもかかわらず驚くような緻密な表現が可能だが、銅板に絵を描き、それを腐食させ、一旦版をきれいに磨いたらそこにインクを詰め、細心の注意で余分なインクを拭き取り、プレス機にかけて刷るのは、普通に絵を描くことの何倍も、いや何十倍も手間と精神力、そして体力を必要とする。

 清原氏の下絵やデッサンを見ると「これで十分素晴らしい」と嘆息するが、その後完成した銅版画を見ると、彼女が版画に拘った理由がよく分かる。銅版画にしか出せない黒、深い闇があるのだ。「影」と書いては伝わらない「翳」り、すべての人間にまとわりついて離れない死の香りとでも言うのだろうか。それが印刷物として残っている。久生や三島のエッセンス、彼らが言葉にしていない想いにすら、清原氏は形と色を与えているのだ。

 久生や三島ファンはもちろん、リチャード・ダッド、シャルル・メリヨン、伊藤若冲(清原氏が尊敬していた美術家達)にピンとくる方、そして銅版画初心者にもおすすめしたい。清原が命を削ってつくり上げたモノクロの迷宮は、一度その扉を開けたら帰れない楽園である。

文=青柳寧子