『いつまでも若いと思うなよ』 上手に自分の「老い」を受け入れる方法って?

暮らし

公開日:2018/4/22

『いつまでも若いと思うなよ』(橋本治/新潮社)

「自分だけは老けない」と思っていた。それが、シワが出てきて、体型が明らかに変わり、どこかで見たことあると思ったら、自分とは遠い存在と思っていたあの「おじさん、おばさん」と同じだ、と気づく。テレビに出ている同い年の芸能人が明らかに老けてきている。「自分も老けるのだ」と当たり前のことを感じている――。

「若さにしがみつき、老いはいつも他人事。どうして日本人は年を取るのが下手になったのだろうか」

 そう老いを評するのは『いつまでも若いと思うなよ』(橋本治/新潮社)。老いの入門書ともいえるエッセイだ。
 橋本氏は1948年生まれで現在70歳。「年を取る」ことと「自分の老いに潰される」ということは違うと語る。早いうちから「自分は年寄りである」と思い込む癖をつけておいたほうが良いという。

 たしかに、年を取ることを肯定するのは前向きなイメージだ。年を取りたくなくとも、現実には老いていく。それを嫌悪し続けるのにはそれ自体にストレスがかかるだろう。老いを受け入れるほうが明らかに精神衛生上良さそうだ。

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 では、老いを受け入れるには何を理解すれば良いのか。本書からそのポイントになるエピソードを紹介する。

■「老い」を選択する

 60歳を過ぎたころ、病気で体がフラフラのヨボヨボになったという著者。抗うより「もう年だ」と思った方が心理的に楽だったという。
 もう若い体ではないのに「治るんだ! 治そう!」と思ってしまうと、うまくいかずイライラしてしまう。それに、どこまで行ったら「治った」ということになるのか見極めるのも難しい。

「若い時みたいにさっさとよくはならない」ということを意識し「流れに逆らったってロクなことはない」と理解することだ。

■「自分の老い」に対して、人は誰でもアマチュアだ

 10年ほど前、友人の母親の話を聞いたという著者。90歳になろうというその女性がいった台詞に、著者はハッとしたという。

「驚くのは、この年になっても、まだ“老いとはこういうことか”という発見があるのよ」。

 90近くなっても自身の中に「自分の老い」を見つめるみずみずしい知力があるという若さを発見し、驚いたという。

「老いというものは各人オリジナルだからこそ、自分の老いのあり方を発見し続けられるのか」と驚きました。老いながら「自分の老い」を発見し続けるのですから、誰もが「自分の老い」の前ではアマチュアなのです。つまり、分かったようなことを言っても、自分の老いの形はそんなによく分からないということです。

■「死」を考えるのは無駄かもしれない

 著者はあるとき「眠りに入る境界線」を見つけようと頑張って起きていたことがあったが、やはり気づいたら眠っていた。死はまた眠るのと同じで、自分の知らない間に訪れるものかもしれない。

 若い頃は死ぬのがこわかった著者が、いまではこわいかどうか「よくわからない」という。老いても死というものをハッキリとはとらえられないが、葬儀に行き仏様を見るたびに「ああ、もう頑張らなくていいんだなァ」と感じる。
 死は「考えても無駄だよ」という答えしかくれないものかと思ったという。

「老い」というものをすっきり丸ごと受け入れる、というのは難しいだろう。しかしながら、老いを現在経験している人物は身近にいくらでもいる。では、自分はどの「老い」を選択するか? それを探すヒントになるこの1冊をぜひ手に取ってほしい。

文=ジョセート