恩田陸の不朽の名作『夜のピクニック』!「みんなで夜歩く。ただそれだけのことが、どうしてこんなに特別なんだろう」

文芸・カルチャー

2018/4/30

『夜のピクニック』(恩田陸/新潮社)

『夜のピクニック』(恩田陸/新潮社)は、10年以上前に出版され、今もなお多くの読者の心を揺さぶり続けている不朽の青春小説だ。

 とある街の進学校には、「歩行祭」という変わった行事がある。

 朝の8時から翌朝8時まで、途中休憩や仮眠をはさみつつも、高校生たちが長距離を歩き続けるという体力も精神力も必要とされる「ただ歩く」だけのイベントだ。しかし、高校生最後の行事でもある「歩行祭」は、卒業をひかえた高校3年生にとって、特別なものだった。

 学年ごとに歩く団体歩行を終え、後半の自由歩行では、それぞれが「一番の友達」とゴールを目指す。長距離を、しかも夜を徹して歩くという「非日常感」。そして極度の「疲労」が、いつもと違う「青春」を登場人物たちに与える。

 貴子(たかこ)は、この歩行祭で、とある小さな賭けをしていた。

 それは今年から同じクラスになった西脇融(にしわき・とおる)に関すること。

 貴子と融は、お互いの意思に反して「意識せざるを得ない複雑な関係」にあった。

 青春小説というと、「爽やか」「甘酸っぱい」という印象を持つかもしれない。けれど、本作は違う。むしろ真逆かもしれない。

 本作に描かれている「青春」は、どこか暗い陰がある。

(高校生活は)全ては大学進学の準備が基本にあって、「人生」と呼べるだけのものに専念できる時間はほんの少ししかない。せいぜいその乏しい空き時間をやりくりして、「人生」の一部である「青春」とやらを味わっておこう。

 ……と、これが貴子の考える「青春」なのだ。

 また、もう一人の主人公である融も「歩行祭」という青春のイベントを、実にシビアにとらえている。

高校生という虚構の、最後のファンタジーを無事演じ切れるかどうかは、今夜で決まる。

 本作では高校生同士の恋愛や友情といった青春小説らしい「キラキラ」も描かれており、貴子や融はその真っ只中にいるはずなのだが、一方で、どこか「引いた」場所で、それを客観的に、冷めた目で見ているのだ。

「青春」の陰と陽が、「歩行祭」という非日常的な行事を通して、鮮明に描かれているのである。

 だが、融は「青春」を否定しているわけではない。融のセリフに「青春しとけばよかった」というものがある。私はこれが一番、心に刺さった。

 私が高校生だった時、国語の授業で先生が『夜のピクニック』を紹介していたことを思い出した。

 結局私はその時、本作を読むことはなかったのだが、もし、高校生の時に読んでいたら、「もっと青春を味わおう」としたかもしれない。高校生活の使い方を、考え直したかもしれない。

 けれど、当時だったら融のそんなセリフに心を揺さぶられることもなかっただろう、とも思う。多分、青春を懐かしく想う今だからこそ、そのセリフが引っかかるのだ。

 さらに言えば、数年後に本作を読み返した時は、きっと違う感想を抱くような気もしている。

 本作が高校生のお話を描いているのに、幅広い年代の男女から支持を得て、読み継がれている理由は、この辺りにあると思う。

「青春」の普遍的な真理を描き、そしてそれが、読者の読む「時代」によって受ける印象が大きく変化し、その時々で得られる「青春の受け取り方」が異なるからこそ、不朽の名作なのではないだろうか。

文=雨野裾