落ち込む日があっても、こどもと一緒に育っていく。絵本作家・おーなり由子の子育てエッセイ『こどもスケッチ』

出産・子育て

公開日:2018/4/28

『こどもスケッチ』(おーなり由子/白泉社)

 人は誰だって無償で愛されたいし愛したいのだと思う。“お母さん”がむやみやたらに神格化されるのはたぶん、その願いの象徴だ。現実にはお母さんだってただの人間なのだから、男のひとが急にはお父さんにはなれないというように、お母さんだって子どもと一緒に育っていくものだ。美しいとすれば、試行錯誤のその過程にあふれた愛情である。なんてことを感じさせられたのが、絵本作家・おーなり由子さんによる子育てエッセイ『こどもスケッチ』(白泉社)である。

 息子ひとりを育てるおーなりさんはいう。

恥ずかしながら、こどもを持つまで知らなかったことがある。ひとりだけの目でこどもを育てるのは、ものすごく大変、ということだ

 うっかり置きっぱなしにしていた牛乳瓶を息子が投げて、破片を口に入れようとしていたこともあるし、家は息子のおもちゃ――ひからびたミミズ、さびた釘、ぐるぐるのコイルといったゴミにしか見えないものであふれている。だけどあるとき、おーなりさんは気づく。びりびりに破れて半分しか顔の残っていないシールは、息子にとってまばゆい光を放つ宝物なのだと。小さな目に映る一瞬はすべて、彼にとって初めての発見で、すべてが尊く、この世界は宝物で満ちている。

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赤ちゃんは光るものが大好き。ひんやり冷たい感触やたたくと音がなるから楽しいのかな

 男の子は“いらんことばっかりする”けれど、それはまだ見ぬ景色に向かって透明なつばさを広げて飛ぶ練習。だからおおらかな心をもたなければと、おーなりさんは日々思いなおすのだが、それは彼女が“立派な母”だからではない。息子が冒険する目を通じて、おーなりさん自身も世界を再発見しているからだ。

ぎゅっと抱き上げられなされるがままの息子。ずり落ちて首が埋まっている姿も愛らしい

 母はこどもを愛し育てるものだし、守りゆくもの。けれどその反面、こどもから愛され育てられて、守られている。それは一見“無償”の関係に見えるけれど、互いに「大事にしたい」と強く思っているからこそ成り立つものだ。「ぎゅうして」とせがむこどもを抱いているつもりでいたけれど、実は自分がだっこされているのだと気づかされたり。がみがみと感情的に叱ったあとでも、学校から帰れば屈託なく笑って慕う息子をみて〈わたしの未熟さなんか、あっさりと許されている〉〈こどもはいつでも、ほんとうに愛するのが上手だなあ〉と感じたり。親は親なりの、子は子なりの愛し方で、思いをかわしあうその不器用で未熟な姿こそが、美しさの根源なのかもしれないと本書を読んでいると思う。

おーなりさんは、自分の弱さや無力さを知るために、母親になったんじゃないかと思うそう

 親子の関係は美しいものばかりではない。おーなりさんだって自分を「未熟な母」と落ち込む日は少なくない。けれどおーなりさんは言う。生まれてきたこどもの命をまるごと受け入れるように、自分のいのちも肯定されていいものなのだと。だって自分も、誰しも、誰かのこどもとして生まれてきたのだから。そんなふうに語るおーなりさんの愛を通じて、自分も美しいなにかをほんの少し取り戻せたような気がする。そんな一冊だった。

文=立花もも