ディーン・フジオカ主演作の小説化! カンヌ映画祭「ある視点」部門受賞監督が到達した新境地ファンタジー

エンタメ

公開日:2018/6/19

『海を駆ける』(深田晃司/文藝春秋)

 映画『淵に立つ』が2016年カンヌ映画祭「ある視点」で審査員賞を受賞し、フランス文化省から芸術文化勲章を今年授与された深田晃司監督。『海を駆ける』(深田晃司/文藝春秋)は、ディーン・フジオカが主演しインドネシアロケが行われた最新作を、『淵に立つ』に引き続き、監督が自ら小説化した作品だ。

 舞台はインドネシア。スマトラ島北部のバンダ・アチェの浜辺に打ち上げられた謎の男はラウ(インドネシア語で「海」という意味)と名付けられる。NPOで災害復興の仕事をしている貴子、息子・タカシ、親戚のサチコは、記憶喪失のように振る舞うラウをしばらく預かることに。だが、ラウの周囲では、不思議な出来事が起き始める…

 前作『淵に立つ』は、地の文とト書きを分けずに一体化させた文体が特徴的な作品だった。著者は本作でも、その方向性を継続しているように思える。ト書きの中に組み込まれた会話と、「——(ダッシュ)」でところどころ挿入される抑制された分量の会話文は、異国の地の物語を読者の心に近い距離に引き寄せてくれる。

advertisement

 著者は2004年のスマトラ島大津波、2011年の東日本大震災、そしてぐっと遡って第二次大戦中の歴史を手繰り寄せる。映画では阿部純子が演じているサチコが、タカシの同級生・クリス(インドネシア人)と何気ない時間を共に過ごす、こんな場面がある。

白波に打たれながら、ただじっと敵を待ち続け、水平線を見据える孤塁。それが、インドネシアを侵略し軍政下に置いた日本軍の残したものであることを、そのときクリスはわたしに話さなかった。

 ハワイやグアムにも、こうした「戦跡」と呼ばれる場所や、戦争の歴史が刻まれている場所がある。筆者は最近シンガポールで「血債の塔(日本占領時期死難人民記念碑)」と呼ばれる場所を訪れた。シンガポールは4度目だったが、何度も訪れていた繁華街の中心部でその塔が町を見守っていることに、ある日急に気がついた。73年という時間の長さ、とりかえしのつかない過去…忙しない現代社会の中に立つその塔を前に、呆然とするしかなかった。

 本書はそうした「途方もなさ」を、未来に向けて打ち破る強さを持っている。インドネシア・日本の両国は、津波による未曾有の大災害を経験し、自然の圧倒的な力に誰も太刀打ちできないという体験を共有した。

 寄せては引く波。しかし、私たちの人生に流れる時間は過去から未来へ、一方向に進んでいく。そうした時間の流れを小説の力で飛び越えると同時に、出自が異なる複数人の主観をまじえたストーリーテリングの手法を採用することで、日本とインドネシアという国が辿ってきた歴史をも本書は超越している。

 サチコはある場面で、日本語・インドネシア語で同じ歌を歌った思い出を振り返り、こう語る。

いかに人は、別々の人生を歩いているのか、よく分かる。同じ場所にいても、同じ場所にはいないんだ。

 映画を見る人の頭の中には、それぞれ違う脳が入っていて、それぞれ違ったイメージが思い描かれていることを知っている、最有力若手監督だからこそ紡ぎ出すことができる描写の数々。日本映画、ひいては文化の未来を憂慮する著者の多様性への志向が、力強い波のように感じられる一冊だ。

文=神保慶政