【連載】『真夜中乙女戦争』第一章  星にも屑にもなれないと知った夜に(2)

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公開日:2018/6/28

『真夜中乙女戦争』(F/KADOKAWA)

初著書『いつか別れる。でもそれは今日ではない』が17万部を突破した「F」の待望の最新作『真夜中乙女戦争』。4月に発売されると即大重版、9.5万部を突破しています(2018年6月現在)。前作は寂しいと言えなくなったすべての大人のためのエッセイでしたが、今作は大学生の男が主人公の“恋愛小説”。ダ・ヴィンチニュースでは、第1章を3回にわたり特別掲載します。読み始めたらどんどん引き込まれていく、Fさんの世界観に浸ってみてください。

第一章
星にも屑にもなれないと知った夜に(2)

 この世は壮大な片思いだ。地球は秒速約三〇キロメートルで太陽を周回する。地球とよく似た惑星が地球から三十九光年離れた場所に七個も発見されたらしい。もちろん、その惑星と通信する手段はない。私たちは時に宇宙のことを考え、時に眠れなくなる。なぜなら私たちが宇宙のことを考えても、宇宙は私たちのことを一秒足りとも考えていないからだ。落ちてくる筈だった隣の国からのミサイルはいつまでも落ちてこない。『君の名は。 』ばりの隕石が落ちてくる時はきっと私たちは笑うしかないだろう。その時は、隕石もミサイルも、地上の私たちと同じ表情を浮かべている。Jアラートは笑点のテーマがちょうどいい。

 愛は、絶望だ。チャンチャカチャカチャカ、チャンチャン。
 でも、絶望は愛ではない。チャンチャカチャカチャカ、チャンチャン。
 絶望の正体とは、思うに、愛されたいものに愛されないことでも、愛していないものに愛されてしまうことでも、愛すべきものが何かが分からないことでもない。

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 愛せども愛されども、私たちはいつか木端微塵に死ぬということだ。
 死ぬ日がいつなのか、その瞬間が来るまで分からないということだ。
 だからこそ今日が最高の日だと言える。だからこそ今日も最悪な日だと言える。
 どれだけ技術が進化し、携帯の機能が進化しようが、自分の寿命を表示してくれる機能 がiPhoneに搭載されないのは人類最大の悲劇だと思われる。結局最後には、この世に何も残らない。ハッピーエンドではない映画が、最近滅多に映画館で公開されなくなった理由は一つだ。
 ハッピーエンド以外許せなくなった社会のせいだ。あるいはディズニーランドのせいだ。もっと言えばディズニーランドに溢れ返る人間どものせいだ。

 ところで、遺灰をロケットに載せて大気圏外に打ち上げる宇宙葬は約三十万円でできるらしい。そのロケットが大気圏内に再突入すれば人間は死後、流れ星になることができる。再突入できない場合、その遺灰は宇宙ゴミとなって何もない空間を延々と彷徨うことになるらしい。人間は星にも屑にもなれなくても、金さえ払えば星屑になれる。星屑にもなれなければ、宇宙ゴミになれる。それも嫌なら、三〇〇グラム分のその遺灰からダイヤモンドを作るのも選択肢の一つだろう。ダイヤモンド葬は最低約五十万円からできる。
 誰だって永遠が欲しいのだ。喉から手が出るほど。

 昔、欲しいものリストをEvernoteに書き出したことがある。通信制限のない携帯。そもそも携帯なんて弄り回さなくていいような生活。友達。あるいは永遠に死なない猫。百年後も愛せるような服。百年後も使えるような本棚。崩れない顔。身体。どう考えたって永遠が欲しい。なぜならば永遠にはなれないからだ。そうでなければ七億円欲しいが、七億円が手に入ったと ころで本当に欲しいものが手に入らないことは目に見えている。
 手に入れてもずっと大切にできるものだけが大事なものだと聞いたことがある。でも人間はそんな上等にできていない。手に入れようとしても手に入れられないものほど愛おしい。残りの人生で私たちにできることといえば、そんなものに憧れたまま死ぬか、それから目を逸らして生きるか、目を逸らさず、それをぶっ壊すか。この三択しかない。セックスレスの解決法が自慰で我慢か、浮気不倫か、離別、その三択しかないのと同じように。

【(3)へ続く】