諦めに満ちた夫婦関係から救い出してくれたのは、ひとりの男の存在だった――。「婚外恋愛」がテーマ、村山由佳最新作の鮮烈なメッセージ

文芸・カルチャー

2018/8/17

『燃える波』(村山由佳/中央公論新社)

 諦め、怒り、哀しみ。ページをめくるたびに、またひとつ、またひとつとあらゆる感情の波が押し寄せては、その熱量に圧倒された。恋愛小説の名手である村山由佳さんの新刊『燃える波』(中央公論新社)を読んでいる最中のことである。

 本作は、「婚外恋愛」をテーマにした、大人の女性の生き様を描いた作品だ。婚外恋愛――つまりは「不倫」という単語に置き換えられる行為だが、本作の主人公・三崎帆奈美(みさき・ほなみ)は、そのような行為に簡単に溺れてしまう女性ではない。むしろ彼女は、冷めきった夫婦関係に諦念すら抱いており、誰かに恋をするということを忘れてしまっているかのように映る。

 42歳の帆奈美は現在、衣食住全般におけるスタイリングを手掛ける、「ライフ・スタイリスト」として一定の地位を築いている人物だ。雑誌でエッセイを連載していたり、ラジオのパーソナリティを務めたりもしていることから、彼女がいかに有能で仕事に邁進しているかは言わずもがな。しかし、傍から見ればキラキラしている彼女にも、悩みはある。それが夫・隆一(りゅういち)との関係性だ。

 それでも、彼女は他の男に走ろうとはしてこなかった。それが、彼女の良心からくるものだったのは想像に難くない。そんな帆奈美を手ひどく裏切る隆一。不満はあれども、なんとかうまくやっていこうと努めてきた彼女にとって、隆一のとったある行為は、それまでの努力や自尊心を粉々にしてしまうものだった。

 しかし、人生とは不思議なものだ。誰かとの出会いによって、それまで立ち込めていた霧が一瞬にして晴れてしまうことが往々にしてある。帆奈美にとってのそれは、気高く生きる女優・瑤子(ようこ)との出会いだった。彼女に気に入られ、背中を押されるようにして、帆奈美は自らの世界のトビラをゆっくりと開いていくことになる。そして、その先で待っていたのが、元同級生であるカメラマン・澤田炯(さわだ・けい)だ。

 やがてはじまる、炯との婚外恋愛。そして、隆一との関係の行方は――。

 “女を忘れていた”帆奈美が徐々にそれを取り戻していくさまは、非常に繊細な筆致で描かれており、男であるぼくにも共感できる部分が多々あった。それはすなわち、諦めていたものを取り戻す、ということだ。人生において、なにかを妥協することは必要なことかもしれない。しかし、だからといって、それに抗おうとする姿を誰が笑うことなんてできるだろうか。もしかしたら、その姿は無様かもしれない。帆奈美のような生き方は、惨めで可哀想なものかもしれない。けれど、それでも、自分のために大切なものを見失わないようにと走り出す彼女は、とても美しい。

 作中でも、隆一や義母がそれを咎める“敵”として描かれている。彼らは例外的な人物なんかではない。「波風を立たせるべきではない」「大人は我慢をするもの」。こういった呪いを吐く人物は、ぼくらの身近にも大勢存在する。そのような人物と対峙したとき、はたして帆奈美のような行動に出ることができるだろうか。

 物語が加速するにつれて、諦め、怒り、哀しみといった波は一際大きくなり押し寄せてくる。しかし、ラストシーンを迎えたとき、心に残ったのは一握りの「希望」だった。人は無様に生きることで、こんなにも美しくなれるものなのか。婚外恋愛をテーマにした本作は、その枠をはるかに飛び越えて、生きることに悩める現代人にとってのバイブルになりうるだろう。

文=五十嵐 大